神戸のキャリアコンサルタント、「ばりキャリ」でも「ゆるキャリ」でもない、自分色のキャリア「わたしキャリア」を目指す女性を応援するしちみちようこです
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長女は、幼稚園の年長さんに上がる頃まで、卵アレルギーでした
アレルギー体質のせいもあり、少しのことでしょっちゅう風邪をひきました
小さな頃から保育園に預けていたとは言え、ずっと小規模園だったので、あまり感染症に晒されないまま大きくなりました。
なので、3歳までの間は、「よく寝込む」といっても、少し熱を出すとか、咳が止まりにくいといったことがほとんどでした。
通常、保育園児が3歳ごろまでに経験するはずの集団生活の初期によくある感染症に片っ端から感染するような現象は、保育園から幼稚園に通い始めた4歳ごろから始まりました
まさに、ヘルプデスクの仕事を始めた頃
この頃は、本当によく病気をしましたし、一度寝込むと長引くことが多かったです。
まだ病児保育も在宅勤務もない時代。
この頃は、夫も出張が少なめの生活でしたが、当時は積極的に育児に関わってくれるという感じではなかったので、ギリギリのところまでワタシが休み、もうこれ以上無理という時に夫に休んでもらうという状態でした
出社できている時は、「帰りにくい」というような仕事なのに、突然数日続けて休まなければいけなくなるようなこともあるという矛盾した状況に申し訳ない気持ちでいっぱいではありましたが、娘を放置する訳にもいかないので、休む時は割り切って休み、その分働ける時は必死で働くという生活を続けていました。
時には、風邪をこじらせ、肺炎で入院するようなこともありました。
5歳になり、卵アレルギーが良くなったので
「はしかの予防接種を受けても大丈夫」と言われた直後に、はしかに感染して入院したこともありました
当時は他に選択肢がなかったので、割り切って休むしかありませんでしたが、
ワタシにとってはそれが良かったのかもしれないなとも思います普段から忙しい分、子どもの辛い時くらいはそばにいてあげたいと思いますが、他の選択肢があったら、当時のワタシなら、ついつい仕事に流されてしまっただろうと思うからです。
もちろん、仕事の種類によっては、何を置いても出勤すべきという類のものもあるだろうと思いますし、自分の強い想いで仕事を優先するということはあっていいと思います。
でも、当時のワタシはそこまで考えていた訳ではなく、流されている傾向にありましたし、
今にして思えば、当時のワタシの担当業務は、そこまでしなければいけないようなクリティカルな仕事ではなかったので、結果オーライだったと思うのです
もちろん、迷惑をかけてよいとは思っていなかったので、いつ突然休んでも困らないよう、次の日に積み残す仕事を最低限にしたり、常に業務の状況が見えるようにしたり、できる限りの工夫は尽くしていました。
当時の努力は、後の仕事上のスキルアップに繋がったと思います。
ちなみにその後の長女はどうなったかと言いますと・・・
小学生になった途端に、とっても丈夫になり、中学も高校もほとんど休まずに通えるようになりました
幼稚園時代には、
年に2回インフルエンザにかかったり、
何度もノロにかかったりしていたのですが、
どちらも前回いつなったか覚えていないくらい感染しなくなりました
本人曰く
「もう一生分のインフルエンザとノロに感染したので、
もう一生かからない」
そうです
休んでばっかりで大変でしたが、
おかげで長女は強固な免疫を手に入れられたんだと思うと、
今となってはありがたいことに思えるから不思議ですね
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