「ばりキャリ」でも「ゆるキャリ」でもない、自分色のキャリア「わたしキャリア」を目指す女性を応援する虹キャリアコンサルタントのしちみちようこです爆笑


今日は、一昨日の体育大会を観ていて感じたお話を書いてみたいと思います。


改めて、ジェンダーという言葉のおさらいを簡単に。

ジェンダーとは、生物学的な性別に対して、「社会的・文化的につくられる性別」のことを指します。

変わった価値観の両親の下に一人娘として生を受け、さらに多感な時期を女子校で過ごすというジェンダーレスな生育歴を持つワタシにとっては、事あるごとにぶつかる壁のひとつでもありますガーン


長女の頃とは何かが違う。。

昨日の体育大会の目玉競技のひとつは、騎馬戦。

めちゃくちゃ盛り上がりました爆笑

でも、長女の頃とはなんだか様子が違うのは、なんなんだろう??

しばらく考えて気づきましたひらめき電球

今回の騎馬戦は学年全体競技でしたが、長女が中学生だった8年前は、騎馬戦は男子だけの競技で、女子は参加していなかったんですびっくり

次女に確認してみると、去年から女子も参加するようになったとのこと。

そう言えば、逆に何で以前は男子だけの競技だったんでしょう。

こんなに盛り上がるのにキラキラ


騎馬戦って、女子には向いてない?

正直、長女の体育大会を観ていたときは、騎馬戦は男子だけの競技だったことにあんまり違和感も感じずにいました。

でも、今になってみると男子だけにしとくのってもったいなかったな・・と思います。

女子校で過ごした私の経験上、実は女子だけの騎馬戦の方が壮絶です爆笑

共学は男子の目があるからちょっと控えめな感じがしますが、女子だけの空間での女子の戦闘能力は想像を絶するものがあります。。

つまり、「女子には不向きな競技だから男子だけにしていた」という訳ではなさそうです。


では、何で男子だけにしてた?

ここからは想像の域を脱しない部分もありますが、先生方や当時の学校としての「ジェンダーの定義」が、恐らく無意識に「人前で荒々しく戦うのは男子だけ」という設定になっていたのではないでしょうか。

女子にもしなやかな強さを求めている様子が見受けられるのですが、求めていたのは「芯の強さ」であり、「内に秘めた強さ」だったのではないか?

一方で、男子には常に「目に見える分かりやすい強さ」が求められているのかなと思うのです。

男子、大変だなびっくり


子ども達のジェンダー意識の変化

 世の中は確実に変わってきているということなのだと感じます。

特に、学校教育においては、ワタシの時代から長女の時代でもずいぶん変わったと思っていましたが、そこから現在を比較してみても、確実に「性別による区別」は減って来ています。

男子校・女子校は、軒並み共学化し、共学校のなかでも、性別で別れる活動がどんどん減ってきています。

「女子の騎馬戦参戦」もその流れのひとつ。

子どもたちにとっても、性別で分けられることの方が違和感になりつつあるようです。

そう言えば、長女も大学時代にジェンダーに関する授業を受けて、ピンと来ないし、理解できないと話していたのを思い出しました。


これからどうなる?

子どもたちのジェンダーの捉え方は、明らかに変化しているのを感じますが、一方で社会も同じように変化しているのでしょうか。


ワタシが就職活動をした四半世紀前は、自宅通学ではない女子は、たったそれだけで一次選考が通らないとか、今では考えられないような「区別」が明確にありました。

法規制により、そうしたあからさまな区別は徐々に姿を消していったものの、潜在的にはいろんな場面で「区別」は残ります。

潜在的な「区別」も体感的にはずいぶん減っては来ていますが、コミュニティによっては旧態依然とした「区別」に出会って驚く場面もまだまだ少なからずありますよね。

子ども時代に性差をあまり感じずに育った子どもたちが社会人になった時には、社会人になって急にこうした違和感に晒され、ギャップに驚いたり、馴染めなかったりするのでしょうけど、きっとそこで社会も大きく変わっていくんでしょうね。

ジェンダーは無くなることはないし、それは悪でもないと思います。

でも、男女お互いにのびのびと生きていけるジェンダーになっていくとよいですね照れ


 

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