私は、大学生の時にアナウンサーになりたくて、アナウンス学校に行き、アナウンスゼミに入りました。

アナウンサーとして地方局で修行を積み、大きなプロダクションに入ってアナウンサーとして活動するのが夢でした。

地方局でたっぷり痛い目にあって、泣いて、踏ん張って、怒って、喜んで一喜一憂しながらやってきました。

20代前半、やっときた東京では、なかなか事務所が決まらず、決まった事務所からも虫けら扱い。


交通費を浮かすために片道2時間かけて仕事に行かされ、足が血だらけになったり、MCの際も炎天下の中屋根のついた待つところがなかったり。


もうだめだ、帰ろう。そう思った矢先に、有田哲平の夢なら醒めないでに出させていただきました。

その後、有吉ジャポンに出演させていただいて、大手事務所のレプロに所属させていただくことができました。

レプロという事務所は、最高の事務所でタレントの事を想って考えて、大事にしてくれます。


時には怒ってくれたり、時には褒めてくれたり、相談にのってくれたり、本当の青春を味わったような気がします。

本当に本人の事を考えて考えて大事にしてくれるんです。

タレントだけでは売れません。
事務所だけでは、売れません。

そうやって二人三脚のタッグを組んでくれる事務所だから、いいタレントさんを輩出してきているのだと思うんです。

私は、鳴かず飛ばずのまま迷惑をかけていますが、レプロという事務所に世界一感謝しています。

レプロに、入れていなかったら、人生が終わる死ぬ時に「なんにもない人生だったな〜」って思ったことでしょう。

テレビに出る許可を出してくださった方々や、出るためにたくさん尽力してくださった皆様、本当にありがとうございました。

今後の私の人生がどうなっていくからわかりませんが、全て受け止めて前に進みます。

向き不向きより前向きウインクウインクウインク