現在、世界で「皇帝=emperor」の称号を持つのは日本の天皇だけです。
しかしアフリカ大陸にもかつて、「皇帝」が統治する「帝国」がありました。
1975年に帝政を廃止したエチオピア帝国です。その後社会主義国を経て現在に至っていますが、アフリカの中でも最貧国のひとつにランキングされています。
帝国であった時代、他のアフリカ諸国がヨーロッパ諸国に植民地分割される中エチオピアは唯一の独立国でした。日本の皇室よりも古い歴史を持つ王朝がありました。植民地分割に乗り遅れたイタリアはエチオピアに目をつけ1896年に侵攻しますが、見事撃退されます。これによってエチオピアの独立は保たれます。
1930年に即位したハイレ・セラシエ1世は翌年、大日本帝国憲法を範とした成文憲法を作ります。
ところが、再び目をつけたイタリアのムッソリーニが侵攻を開始し、1936年ついにイタリアの植民地に組み入れられしまいます。
皇帝自身はイギリスに亡命政府をつくったので、エチオピア帝国は存続したものとみなされます。イギリスの支援を受けて、1941年には帰国します。
再び独立国家として、アフリカ統一機構を設立したりしますが、晩年には独裁に陥り、反対派によって、帝政は終わらされ、退位したあと謎の死を遂げます。
実は日本とエチオピアは第一次世界大戦後友好関係にありました。1930年の皇帝の戴冠式に参加すなどから始まり、先述の成文憲法、そして、皇室の縁戚者アラヤ・アババと黒田雅子の縁談の話がありましたが、その後日本が同盟を結ぶことになるイタリアのムッソリーニの干渉があり、成立しませんでした。
戦後の1956年ハイレ・セラシエ皇帝は国家元首としては戦後初の日本訪問者となります。(1955年に国交樹立)
1960年には現在の天皇皇后両陛下がエチオピアを訪問しています。
1970年の大阪万博のとき皇帝2度目の来日となります。
ハイレ・セラシエ皇帝とは
エチオピア帝国とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2%E5%B8%9D%E5%9B%BD
エチオピアと日本の関係
明日は終戦記念日です。