映画感想「スリー・ビルボード」(再掲載) | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います


『スリー・ビルボード』(2017)


ミズーリ州にある小さな町
パトロールをしていた警官は町外れの側道で、思いがけない光景を目にします

(辱しめられた上に殺された)
(まだ逮捕もできないの?)
(どうしてよ、ウィロビー署長)

広告を出したのは看板の後方を少し登った辺りに住まいする

ミルドレッド・ヘイズ

じつは彼女、この看板の辺りで娘を殺されているのでした
捜査は難航し彼女の心は
膨らむ犯人への憎悪に反応したかのような、警察への強い不満に覆われていたのです

名指しで批難されたような形になったウィロビー署長ですが

慌てず騒がず
真摯に丁寧に、ミルドレッドに行き詰まっている捜査の理由や今後について話をし、広告の撤去を提案しますが
彼女は聞く耳を持ちませんでした

やがて、広告を出した効果なのか
幾つかの小さな諍いや事件が起き始め

ミルドレッド・ヘイズのフラストレーションは、町の中にある燃えやすい感情を一つまた一つと発火させてゆくのでした

そして、辛い事件が突然町を襲い
物語は一気に煮えたぎってゆくのです

言葉は悪いですが、パワフルで熱くて
皆がカッコいい映画でした

ヒロインのミルドレッドも

彼女に翻弄されるウィロビー署長や部下のディクソンも

立場も主張も違う3人なのですが
事件への憎しみと自分の家族へ対する、各々の
感情が不思議な絆で結ばれてゆく様は

映画を見ていて良かったなあと思う興奮を感じさせてくれました

善人が出てこない作品ですが、優しい人は現れます
けれど、ミルドレッドの起こした熱っぽさは優しさでは支えきれないのです

危険と背中合わせの狂暴な正義感や歪んだ価値観
あるいは喪失感みたいな気持ちだけが
彼女を支えてあげられたのかもしれません

大好きなウディ・ハレルソンがウィロビーを静かに演じて、時代に取り残されたような南部の微妙な空気を何とかしたがっている白人の見本のようで素晴らしく

南部気性そのままの母親と暮らし、生粋の白人至上主義を貫きながらもしっかりと、正義感だけは損なっていないディクソンを

サム・ロックウェルが好演、この芝居と美味しい役回りでは
アカデミー助演賞は最短距離かもしれません
私は写真の右、ディクソンの母親を演じたサンディ・マーティンの存在も素晴らしいと思いました

見終えて高揚している自分がいました
身体の中から煮えたぎるような気持ちを感じていたのです
これから何度も見ることになりそうな気がする
そんな作品でした
(2018.2.1より再掲載)