映画感想「アメリカン・スナイパー」(再掲載) | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

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そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います

『アメリカン・スナイパー』(2014)




アルカイダとの戦いのためイラク戦争へ4回従軍したシールズ(海軍特殊部隊)の狙撃兵
クリス・カイル氏の愛国心と、それ故に破綻してゆく自らの生き方を見つめた物語です

アメリカの象徴のようなテキサスで生まれ、テキサスの象徴のような厳格な父親に教育されたカイル

やがて彼はアメリカ男子の象徴のようなカウボーイに憧れてゆきます


このテキサスでの生い立ちから、3・11の事件に触発されて軍隊へ志願するまでが重要なのでは?と感じました


テキサスはアメリカがメキシコからぶん盗った土地が大半です
(これを正当化するきっかけがアラモ砦の戦い)

そして、そのテキサスの大地はネイティブ・アメリカンの楽園でした。テキサスという名前も、彼らの言葉で(友人)という意味があるそうです


クリント・イーストウッドは、狙ったんだと思います
カイルは、アメリカ人の愛する土地で生まれ育ち
テキサスという風土が培った精神である(勝ち取る)という正義を学んでいるのだと

何よりも(友人)を思う愛国者として、彼は生きようとしただけなのだと


カイルは汚い言葉で敵を呼び、罵ります

敵の行為は野蛮人の行いそのものですが

それが(テキサス人)として我慢ならなかったと思わせるように、イーストウッドは描いていたように感じました


お互いの正義

だから互いを悪だと思い戦う
それが、戦争というものだから
俺は仲間を守るために、敵を倒しただけだ

カイルの気持ちはテキサス魂に貫かれた、純粋な正義感だった

女や子供を狙撃するのも、当たり前

テキサスからメキシコ軍を追い払い、インディアンを追い払ったように

悪いことをする連中を、追い払っただけ

彼はそう思っていただけかもしれません


一方向からの視点では
好戦的・戦争讚美として非難されるでしょうが
アメリカという国が、州というコマの寄せ集めで構成された国家だとすれば
彼の育ちや、思考や、価値基準まで考えなくてはいけないでしょう

単なる戦争映画、伝記映画じゃない

深い映画です


(2016.3.19より転載)