いまここに一枚の家族写真がある。真ん中に写るのが私。
それを取り巻くように私の父、母、弟、祖父母。そして妻と娘と息子である。
先刻、8年ぶりに福岡の実家に帰ったときに撮った家族の集合写真である。
3歳の娘と1歳の息子は、私の両親を前にするなり、大声で泣きじゃくった。
無理もない。子どもたちからすれば生まれて初めて会う見知らぬじいさん、ばあさんなのだ。
それでも、場所や人に慣れてくると、ソファの上をぴょんぴょん飛び跳ねたりして楽しそうにしている。
そんなひ孫たちを眺める我が祖父母の目元も自然と下がっていて、なんだか安心した。
我が父とは、長らく大きなワダカマリがあり、そのことが私を実家から疎遠にした。私の進路や結婚のことで大反対されたのだ。
父には、自分の父(私の祖父)から受けた教育に対する不満があった。
父はそんな辛い思いを自分の息子(私)にはさせたくない一心で、父なりの愛情を最大限に私に注いでくれた。
父のその愛情は、私の思考や行動理念の根幹を形成するに至り、長らく私を苦しめた。
「親の心子知らず、子の心親知らず」とはまさに。
今回の帰省で、父が私の息子を抱っこする場面があった。
息子は不思議そうに自分の祖父である父を見つめていた。
私が息子の名前の由来を父に語ると「ふん、そうなんか」とぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「まあ、好きにせぇ」それだけ言い残して自室に戻ってしまった。不器用な父なりにどうやら喜んでいるようだった。
「こうあらねばならない」の意識で長らくがんじがらめであった父が、私とのワダカマリを経て辿り着いた、彼なりの「父性」の境地。そこから出た言葉が「まぁ、好きにせぇ」だったのだろう。
仕事の都合もあり、あまり長くは滞在できなかったが、祖母の手作りのカレーライスや、鯛そうめんを久しぶりに食べられたのも良かった。
福岡を発つ前に、家族4人で墓参りにも行った。墓は熊本県の人里離れた山奥にあるため、アクセスはすこぶる悪い。
ただ、今回は案外すんなりと辿り着くことができた。天気も良かったので、眼下に広がる八代海とそこに浮かぶ天草諸島とがたいへんきれいに見えた。最近墓石に刻まれた祖母の名前に手を当て、幼少期の思い出の数々にしばし浸った。
祖母もきっと今ごろ、宇宙で祖父と再会していることだろう。まだ幼い子どもたちはお墓というものに全然ピンときていない様子だったが、健気にも墓石に手を合わせてくれた。びゅうと吹いた海風は、我が先祖の霊が喜んでいた徴しかもしれない。まぁそういうことにしておこう。
5次元における帰省はかくも便利で、しかもたいへん充実したものであった。
思い立った瞬間に実家のチャイムを押すことができたし、8年間音信不通の親子だって(ぎこちなかったが一応は)笑顔で再会できた。もはや場所も分からなくなってしまったお墓にもちゃんと行き着くことができた。すでに鬼籍に入ってしまった我が祖父母もひ孫を抱くことができた。
いま、私のまぶたの裏に一枚の家族写真がある。
新たな家族と共に、新たな父として生きていく私にとって、ほんとうの「父性」とは何かを思い出させてくれる、大切な一枚となった。