「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」
(P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』)
偉大なドラッカー氏の言葉です。
今までの時代だったら、この言葉に感動し、行動を起こそうと奮起する人たちも多いと思います。
でも、私はこの言葉はもう時代遅れだと感じますw
私はこのコップの例えを聞くと、
「半分入っている」と捉えたほうが豊か=◯だよ
「半分空である」と捉えるほうが貧しい=×だよ
無言のジャッジの価値観の押し付けを感じます。
そもそも本当に豊かだと思っているときは、コップの水がどれくらいあるかなんて気にしないんです。
ただ、コップに水がある。それだけです。
そこに意味をつけているのは、あたま君(思考)です。
カズレーザーさんが、「人生における勝ち組と負け組とはなにか?」という質問に対して、
「勝ち組とか負け組とか、気にしてない人が本当の勝ち組でしょうね」
「だって、どうでもいい言葉ですもんね。この2つの単語を知ろうが知らまいが、自分の人生になんら影響ないんで。
そんなことを知る必要もないような生活をしてる人が、本当の意味で勝ち組なんでしょうね」
とコメントしていたのと同じです。
あたま君は、今自分のコップの水の量がどれだけあるかが、人生で一番気になるところですよねw
自分も勝ち組になりたい、勝ち組とまではいかなくても、負け組にはなりたくない。
あたま君の枠の世界から出られない人は、一生この水の量を気にして、減らさないように減らさないように生きていきます。
でも、カズレーザーさんが言うように、「勝ち組」と「負け組」の二極から飛び出した「本当の勝ち組」は、
コップの水の量がどれだけあるかなんて、どうでもいいと捉える人です。
この人たちは、あたまの世界を抜けて、自由な心の世界にいます。
さらに言えば、自分には現実を自由に創れる力があることを知っている人たちです。
だから、今入っているコップの水の量なんて気にしないんです。
コップの水を増やそうと思ったら、コップに水を注げばいいし、
別にもう今入ってる水はいらないなと思ったら、水を捨てて、コップを空にしたっていい。
「どんな状況も自分が創っている」ことを、自由な人は知っています。
貧しい状態も、豊かな状態も創れることが、本当に豊かなことですし、
私たちはいつだって、その豊かなことをしているわけです。
でも、あたま君は、コップの水を自分で自由に変えられる力があるなんて、信じられません。
だから、今あるコップの水の量が減らないように気をつけているんです。
(それも体験したいことを体験している豊かなことです)

あたま君の作った世界から少し距離を置いてみると、本当の自分の力に気づいてきます。
その時、改めて自分のコップの量を見て見てください、
コップの水を違って捉えている自分に気づくはずです。


