二人とも○ゾーンも×ゾーンもなくなり、
「ばか」になったその時、
Step5 一人になる状態 が生まれます。
星野源さんの「ばかのうた」にある「ばか」とは、
「感性で生きる」という意味だと私は捉えました。
自分の感覚や感性、感情で
その瞬間瞬間の自分を表現していく。
二人を超えたパートナーシップにより、
×ゾーンがなくなった人は、
どんな自分も受け入れることができるし、
最愛のパートナーも、そんな自分を受け入れてくれる。
そんな時、星野源さんの言葉を借りると
完全に感覚に身を任せた
「ばか」の状態になることができるのです。
そんな「ばか」の果てを歌った曲が
星野源さんの「地獄でなぜ悪い」だと、私は考えます。
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嘘で出来た世界が 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ
作り物だ世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ
同じ地獄で待つ
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「ただ地獄を進むもの」
これが一体、なにを指しているのか…
エネルギーキャラクターでいうと、
「こころちゃん(ひらめき)」なのではないかと思うんです。
ひらめきって言うと、なんだかキラキラして聞こえはいいのですが、
あたま君から見ると、「狂気にしか感じられないひらめき」もあるんです。
それをやってしまったら「嘘で出来た世界」を壊してしまう。
せっかく今まで「悲しい記憶」を見ないようにするために、
必死で世界を作ってきたのに!
しかし、こころちゃんにはそんなこと一切関係ありません。
自分のひらめきに従って、純粋に前に進むだけ。
ただ、ピュアな自分のまま生きていく。
そもそも、×ゾーンとは、
その人の過去の「悲しい記憶」から作られています。
「このゾーンにいたら、怒られた。悲しい。
だから、ここにいちゃいけないんだ。ここは×ゾーンだ」
と、人生のどこかのポイントでそう思ったから、
そこを×ゾーンとその人は認定しているのです。
今まで×ゾーンだった部分に飛び込んでみるとき、
悲しい記憶に打ち勝ち、そこは×ゾーンではなくなるのです。
その時のこころちゃんの姿は、
あたま君にとっては「死神」に映っていることでしょう。
私自身の話を例として出すと、
私は安定した仕事に就いていないかったり、
パートナーはいるけれど、結婚もせず
30代になって子どももいないことで、
私のことを「かわいそうな人」と見る人もいると思います。
その人にとって私は、
まるで地獄にいる人のように見えると思うのです。
もっと幸せになれる道(○ゾーン)があるのに!!
私はそこ(×ゾーン)には絶対に行きたくない!!
そんな風に思う人もいると思います。
でも、私は「ばか」なので、心の赴くまま生きてみたら、
こうなってしまったわけです。
そこが多くの人にとっての地獄であろうと、
私はそこでしか生きられなかったんですよね。
だから私も、
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ わけです。
同じ地獄といっても、
それは私と同じ生き方という意味ではありません。
それは、同じようにその人にとって心の赴くまま、
あなたの地獄で生きることで、同じ地獄に辿りつくということです。
ここにパートナーシップの最後のステップ、
Step6 一人を超えてゆけ へのヒントが隠されています。
地獄で生きる覚悟を決めて、
心の赴くまま、一人の状態を極めていくと、
実は、周りの人達と絶妙な状態でシンクロしていることがわかります。
なぜかちょうどいいタイミングで生きるリズムが合うんです。
別々の用事をしていたのに、同じタイミングで帰ってくるとか。
レストランで頼もうとしたメニューが同じだったとか。
それは日常に起こる些細な出来事かもしれませんが、
そんな積み重ねが、安心感を生み出します。
一人の状態であっても、大きな意味で
私たちはつながっている=ワンネスの状態である
ことが、腑に落ちていくんですね。
これが Step6 一人を超えていく 状態なのではないでしょうか。
だからこそ、
「これからの時代は、パートナーシップの時代」を言い換えると、
周りの人とのパートナーシップを通じながら、
自分とのパートナーシップを強めていく
あなたの周りに現れる人は、
全てあなたの鏡のような存在です。
本当は、あの人は悪い、あの人は正しい、
そんなものはないんです。
ついつい私たちは、
「旦那さん」とか「奥さん」とか、
「お母さん」とか「先生」とか「先輩・後輩」とか、
仮面で相手を見てしまい、
自分と相手は「生き写しの鏡」だということを忘れてしまいます。
私はあの人とは違うと思っていても、
共鳴する部分が絶対にあります。
その共鳴する部分を見つけ出し、
自分の全体像を見つけていく…
このシンプルなたった三行の言葉から、
全ての可能性を受け入れ、全ての可能性を捨て去った、
「無の境地」あるいは「無条件の愛」を感じるのです。
『神話』に出てくる神は、
『地獄にいる死神』も、『天国にいる神』も、
全て自分の中にいる。
どの神も、強烈なエネルギーを放ち、
そのエネルギーから作られる現実を、
私自身も「地獄」で生きることを決めたことで、
また新しい現実が動いたと感じています。
その先にこそ、本当の意味での
自分や人とのつながり(パートナーシップ)が
見えてくるのではないかと私は思うのです。