「きみは、すぐに結論ありきで話をすすめようとする。
僕は僕のペースがあるんだ。
君のペースに巻き込まないでくれ。
君はいつも自分を正しいと思っているけれど、
そんなことない。
僕は君のてんぐの鼻をへしおるのが仕事なんだと思う!」
「あゆのり」では、いつもニコニコ
優しく見守り系男子ののりさんに、
はっきりこう言われました。
のりさんにも言われたように、
私の頭は、私はいつも「正義」でいなくてはいけない、
という想いがあったんです。
私がしっかりしないといけない・・・
私が正しい道にみんなを引っ張っていかなければ・・・
私がなんとかしなければ・・・
だけど、のりさんは、「私は正しい」と思う私に、
「それは間違っている」と真っ向から言ってくれました。
そして、「天狗の鼻をへし折ってあげる」とまで
言ってくれました。
人は、自分のままでは人が離れていってしまうのではないか
という怖れから、自分とは違う「仮面」をつけて、取り繕おうとします。
結果それが、エネルギーを循環させる妨げになってしまい、
どんどん自分の本来の姿から離れていってしまいます。
(私はそれを、ブラックこころうくん状態と呼んでいます)

のりさんに「君は間違っている」と言われ、
その時の私は、ショックだった反面、深く安堵したんです。
自分は、間違っていてもいいんだ、
どんなことをしても、もしダメだったら、
周りの人たちが引きとめてくれる。
だから、間違えないように・・・と、
正解を探さなくてもいいんだ。と、
心の底から思えるようになりました。
いつも自分の選択する事柄に対して、
無意識のうちに、自分にとって「正義」であることを
選択する癖がついていました。
そして、自分にとって「間違ったこと」を選択する人を、
悪認定していました。
だけど、自分も誰かにとっての
「間違ったこと」をしているのだと、実感した今、
ようやく「正しさ」のジャッジから抜け出ることができました。
自分は「正義」でもあり「悪」でもある。
私が「悪」認定している間違った人たちは、
誰かにとっての「正義」であり、「悪」でもある。
その反対も然り。
そして、この「どちらでもあり、
どちらの状態であっても受け入れる」ことが、
女性性なのだと、ようやく体感として体験できました。
女性性が開花すると、頭のジャッジが消えます。
そして、ジャッジの代わりに、心のやりたいことを
目的地まで運ぶ“「無限の選択肢」を考える機関”として、
役割を変えるのだということがわかりました。
今自分が、なにかに打ち込んでいても、
なんにもやる気が起きなくても、本当はなんでもいいんです。
頭ではわかっていたんですけど、
やはり無意識にジャッジの気持ちがずっと働いていたようです。
女性性が枯渇していると、
なんでも自分で背負わなくちゃと、意気込みます。
頭のジャッジが厳しくなっていきます。
“女性のヒステリー”はこういう仕組みで起こります。
こうするのが正しい
こうするとうまくいく
こうするのはダメだ
そうやってジャッジをして、
エネルギーが湧き上がっていない状態で、
一人で背負っていると、いつか身体が悲鳴を上げます。
これは、女性性を司るからちゃんの悲鳴なんです。
一人で背負うことは、本来女性性(からちゃん)の役目ではありません。
みんなが役割分担をして、それぞれの役割を見守るのが、
女性性(からちゃん)の仕事なんです。
女性性・・・ずっと私がわからなかったものです。
今回の体験で、少しですが自分の中の女性性を
感じることができました。
そして、からちゃんの役割がようやく明確になり、
「エネルギー循環力」の理論が完成しました。
それを発表する場を作ろうと思い、
ホームページもリニューアルしました!
http://www.enedol.net/
エネルギー循環の先に
待っているもの・・・
どんなことがこれから待ち受けているのか、
頭はさっぱりわかりませんが、
目の前の石をひとつずつ拾うように、
コツコツとやってみようと思います!


















