元特等床山日向端さん元横綱朝青龍関を語る | よかったねノート 感謝の言葉にかえて

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365日いつもこころにありがとう。
あなたがいてくれてよかった。四季のあるこの国に生まれてよかった。
季節の花々にこころ託して。
夫婦で子どもたちに伝えたい思いを、綴ります。


It's getting better. (だんだん伝わる)

ミヤネ屋(昨日2/8、13:55)を見ていました。
2008年12月まで特等床山・床寿で務められました日向端(ひなはた)さんがご出演。今の日本で見られなくなったような面倒見がよく人情に厚い人と評されていました。
横綱になった当時、床山を頼む朝青龍関は神妙だったようです。
「頼めますか、私の頭をお願いできますか」
「こちらからは言えないよ、頼まれたから分かりました、やります」
と引き受けられたようです。
6年間、横綱朝青龍関付の床山として活躍され定年を迎えられました。
2008年の九州場所での優勝とオープンカーでのパレードに一緒に、という約束。
それがその年の九州場所では、怪我のため果たせずに床寿さんは引退(退職)してしまいました。
年が明けての2009年初場所での優勝となり、ひと場所遅れに約束を果たしたという形になったそうです。
感激もひとしおだったようです。
http://www.sponichi.co.jp/sports/special/2009sumouhatsu/KFullNormal20090126060.html
その時の「ガッツポーズ」もその事情を聞けば、思い入れもあっただろうから、
許せるような気がしてしまいますが。
床寿さんは(床山だった時の呼び名のままで)、
「モンゴルに帰って、大統領になってくれ」
そう願いを何回か語られました。
大統領になってしまったら、これ程日本語の流暢な外国の要人はいないだろうって。
相撲観戦に訪れたら、協会の理事長もご案内ということも、
もしかしたら将来あるのかもしれません。(話が弾んでいました)

司会の宮根さんは、引退報道時は報道するにも辛かったようです。
ミヤネ屋のスタッフも親しみを感じて取材を続けてきたからです。
「ミヤネ屋」と朝青龍関に覚えてもらうまでの日々も語り草、
また親しみが出てきてからは、レポーターや宮根さんとも打ち解けて、
まげを結う間の映像も残っていますから気ごころが知れていたのでしょう。
今回の床寿さんのご出演ともなったのですね。

引退相撲の時には、床寿さんが結われるそうです。
床寿さんは、本人や部屋でもないのに、記念のマスをほうぼうからもう既に頼まれているそうです。

引退記念の枡(升、マス)、いいですね。
ほんとうに本当は記念っていいものですもの。
食指、ぴく。