昨年ノーベル賞に輝いた日本人は複数の方々であった。
昨日10月19日、昨年ノーベル化学賞受賞の下村 脩さんが長崎県佐世保市の世界最大級のクラゲの展示施設がある水族館「海きらら」を訪れたそうである。
(朝日新聞参照:"青鉛筆")
先日の朝日の朝刊34面、シリーズの「被爆国からのメッセージ、核なき世界へ」[5]でも、下村 脩さんのノーベル賞授賞式前の記念講演の話が紹介されてあった。被爆地長崎の目撃者、戦争に翻弄された下村さんの昨年のお話はノーベル賞選考委員にも届いていたはずである。
2020年夏季五輪 広島・長崎共催としての招致の記事は今日(10月20日)付で余波としての各界の受け止め方、また広島市秋葉市長、長崎市田上市長の本気モードへの変遷など詳しく述べられている。
オバマ大統領の誕生は、ベルギー・イーぺル市で開催された国際NGO「世界市長会議」(世界3147都市加盟)の役員会合の約一週間前であった。「核なき世界をめざす」オバマ氏の米大統領選での勝利が、その時である。
オバマ氏がノーベル平和賞とは、選考委員会も英断だったと思うが、昨年の下村 脩さんの授賞式前の講演は、周到に練られたものではない、真意、誠意があった。
「わたしの話は長崎の街が原爆によって壊滅され、第2次世界大戦が終わった、1945年から始まります」
世界の人に訴えたいとか、そういう気持ちでなく、自然に出てきた言葉だった。
僕は44年夏、大阪から疎開で長崎県立諫早中(現・県立諫早高)に転校し、すぐに勤労動員された。45年8月9日は諫早市郊外の海軍航空廠にいた。午前11時前に警報が鳴ったが、防空壕に逃げても意味がないと思い、近くの丘に登った。・・・・という生々しいものである。
・・・空を見上げるとB29が一機飛んで行き、長崎市方面の上空でパラシュートを落とした。警報が解除され、工場の椅子に座った途端、窓からすざましい閃光が差し、目がくらんだ。数十秒後に爆風と地響きがあった。・・・・(中略)
戦争、そして原爆によって僕の将来は灰色になった。諫早中では1時間も勉強していない、担任もいなくて内申書も書いてもらえない。高等学校、専門学校に入学させてもらえず、3年近く浪人生活が続いた。人生で一番つらい時期だった。長崎医科大付属薬学専門部(薬専、現・長崎大薬学部)になんとか入学したが、実験設備もない。正式な教員は戦場へ行き、代用教員ばかりだった。卒業して4年程して、名古屋大の天然物化学の研究室に内地留学した。これが私を生物発光研究に導いた。
実に悲惨な戦争体験であり、原爆に荒廃された街や人々の暮らしの復興が容易でないことがわかる。
・・・惨めな時期を過ごした・・・僕にとっては。そうでなかったら、オワンクラゲからGFP(緑色蛍光たんぱく質)を取り出すことも、80歳でノーベル賞をもらうこともなかったかもしれない。
米国は広島に原爆を落としたことを「早く戦争を終わらせるためだった」という、しかしその理屈は長崎には通らない。広島の悲惨な状況を、結果を見ずして、3日後にまた落とすなんてむちゃくちゃだ。
僕は研究ばかりしてきて、政治のことを考えるには向かないが、戦争でみんなが苦労してきたことを伝えていかなきゃいけない。米国に被爆者の訴えが届いているとはまだまだ思えない。国民一人一人がしっかりと声をあげるべきだ。(聞き手・枝松佑樹氏)
これくらいの積み上げがないと届いてこない、また実体験に基づく強いメッセージを目の当たりにする、そんな機会は実は幾度となく、あったはずだ。
小中学校の修学旅行では長崎に行く、広島に行く、両方を経験したし、毎年8月にはTVで戦争の時代を生きた人々の苦難を見せてもらってきた。今日から子どもの学校でも長崎へ修学旅行で出発している。
人はどんな大事な話でも常に常に聞かされ続けないと、忘れてしまう。悲しみを味わった人々は癒されず、周りは風化させてしまう。
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞への足がかり、人々の平和への願いがある、語らずにおれなかった意思がある。人々は共有している思いで感化し合う、書かされる、話し出す、いつもいつの世も。
広島、長崎から発信、発信されてきているではないか、今までも、そしてこれからも。
多分、言われていることだろう、「ずっと同じことを訴えてきたんですよ」と。
下村さんが少年時代を過ごした佐世保市。
水族館「海きらら」
海きらら、とは素敵な名前だと思う、子どもたちにつけられる名前も最近ではユニークに感じることが多い。
海の生物たちを『水族』と呼ぶのであるなら、
私たちは、『陸族』の一派であろう。
活き活きと泳ぎ回る海の仲間たちを想って、『海きらら』ではあるまいか。
海への憧れ、空へのときめき、二本足歩行の私たちは感じずにはいられない。
たくさんの恩恵を海の仲間たちから、受けている、
海の仲間たちにノーベル賞はあげられないけれども、感謝状ものである。
多大にお世話になっている。
水族館「海きらら」の暗い水槽の中には、長年下村さんが研究してきたオワンクラゲも泳いでいる。
紫外線に反応して青緑色に光る姿をのぞき込んで「若いクラゲだね。ちょっと光が弱い」。
「海きらら」には旧制中学時代の同級生も駆けつけ、再会を喜ばれた。
「どこに行ってもクラゲは同じだね」懐かしい土地で思い入れのあるクラゲを見た感想を聞かれて答えられたという。
長崎新聞
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20091020/02.shtml