私の

モンテッソーリ教育との出会い

については

以前2回にわたって

このブログで書いてきました

 

しか~し!

 

そもそも

モンテッソーリ教育ってなんだろ???

ってなってる

そこのあなた

 

安心してください

はいてますよグッド!

 

👆どうしてもいいたくなったのよ

しかも強調してるしw

 

では

気を取り直して

 

安心してください

このブログを

読んでいくうちに

少しずつ

分かるようになっていきますよ

ということで

フォローしましょう愛飛び出すハート

 

さて

今日は

 

モンテッソーリの生みの親

Maria Montessori

(マリア モンテッソーリ)

 

について

お話ししましょう

 

1870年8月31日

イタリア生まれ

 

男子校に通う

(まだまだ女子が学校に通えなかった時代

 ようやく女子にも門戸が開かれた!

 でも、通えるのは男子校のみポーン

 ってか、女子はマリア1人だけ目がハート

この時点でしびれる飛び出すハート

 

医者になるために

ローマ大学の医学部に

願書だすも

ほらほら

まだまだ

例の世界線の時代なのよ

ひと悶着

あるよねぇ~

で、登場するのが

な、な、なんんと

ローマ教皇びっくりマーク

 

ローマ教皇の後押しで

無事に

ローマ・ラ・サピエンツァ大学医学部入学

もちろん

この時も

 

女子はマリア1人だけ目がハート

 

いやぁ

マジでしびれる飛び出すハート

 

そして

想像を絶する

女性差別に負けず

見事卒業!

 

イタリア初

女性医学博士に目がハートキューン

 

もうさ

ここまでの

道のりみただけでも

 

ほの字愛飛び出すハート

 

マジで

かっこいいキメてる

 

その当時マリアは

細菌学を専攻してたから

研究室で過ごすことが

多かったといわれてる

 

ただ、

マリアは小児科でも

良い成績を収めてたらしく

卒業の前年には

奨学金まで獲得してたんだよね

 

その後

マリアが師事していた

教授の影響で

スペシャルニーズを持つ子ども

の為の心理研究

を始めるんだよ

※私は個人的に障がいという言葉が好きではないので

 スペシャルニーズという言葉を使うね指差し

 

この選択も

本当にしびれるよね

 

当時でも結構

異端だったと思う

 

スペシャルニーズを

持つ子どもたちを

出発点にしてる

 

そこがまた

マリアの強い信念を感じるし

 

リスペクト飛び出すハート

 

その後

マリアは

教育学に道を定めるわけ

しかも

教育学を極める為に

哲学の学位

もとっちゃうっていうね

 

もう

めちゃめちゃ

優秀ニコニコ

 

マリアの研究は

徹底的な実証主義

に基づいていたんだよね

 

だから

当時の学界でも

めっちゃ評価されて

奨学金をたくさんもらってたらしい

 

この辺には

すでに

モンテッソーリ教育法

を提唱する

基盤ができていたんだろうなぁ

って思う

 

はい

個人的な感想ですw

 

その後

 

マリアは

精神に疾患を持つ子どもたちの教育

をテーマにすることになるのよ

 

それが

モンテッソーリ教育の礎になってる

 

まぁ

実はプライベートも

めちゃめちゃ

ファンキー

なのよ

マリアは

その辺のことは

また別記事にするね

 

1907年1月

イタリアに

最初の

 

子どもの家

が設立されました~チョキ

 

 

子どもの家ってなに???

 

マリアはこう言ってます

 

「子どもたちのための家ではなく

 子どもたち自身の家」

 

だと

深い飛び出すハート

 

どういうこと??

ってなってらっしゃる

そこのあなた

 

わかりやすく言うと

 

子どもたちが

年齢にふさわしい仕事=遊び

をこなしながら

自分が存在することの

意義を感じることができる家

 

ってことかなと

 

マリアはね

その後

イタリアを飛び出して

オランダ・イギリス・スペイン

オーストリア・ブエノスアイレス

にも行ってて

どこでも

マリアの教育法は

大歓迎されたんだよひらめき

 

1924年に

スペインからイタリアに

戻ったマリアは

 

教皇ベネディクトゥス15世に迎えられて

 

独裁者ムッソリーニ

でさえも

当時のイタリア人の

識字率の低さから

モンテッソーリ教育に

興味津々

 

イタリアの学校でも

モンテッソーリ教育を

採用したのね

 

そしてそして

ムッソリーニが

青少年の道徳観

を養うために

設立した組織にも

マリアは参加してた模様

 

しか~しびっくりマーク

 

1930年頃から

マリアは

平和を強く強く願って

そのことを隠さず

欧州各国で開催されていた

平和に関する会議

に出席するようになるの

 

このことが原因で

マリアとファシズムは

決裂するんだな

 

当時ムッソリーニは

 

「モンテッソーリは、

 まったくウザい(rompiscatole)

 存在だ!」

 

って言ったとか言わないとか

 

1934年には

ムッソリーニは

イタリア国内の

モンテッソーリ校の閉校

を命令してる

 

同じく

ヒトラーも

ドイツ国内の

モンテッソーリ校の閉校

を命令してる

 

そんなこんなで

マリアは

イタリアを去る

事になってしまったんだよね

 

でもでも

そんなことで

へこたれる

マリアじゃないのよ

 

本当

誰だと思ってんの???

マリアを!

って感じだよね

 

マリアは

その後

自分の

教育論普及のために

世界中を旅するのよ

 

いやぁ

マジでかっこいいのよ

マリアは目がハート飛び出すハート

 

じゃじゃじゃじゃーん

その結果

今じゃ

世界中に2万2千にも及ぶ

モンテッソーリ校が

存在してるっていわれてる

 

でもさ

マリアの母国イタリア

ではわずか138校

ドイツ1140校

イギリス800校

で、

マリアが死を迎えた国

オランダでは220校

あるっていわれてるんだよね

 

1952年

マリアは

オランダで永眠悲しい

 

オランダの

ノールとウェイクの墓石には

 

 

「あらゆる可能性を秘めた

 子どもたちよ

 人類と世界の平和を

 私とともに築いてほしい」

 

って

刻まれてるんだって

 

最後までかっこいい愛飛び出すハート

 

いやぁ

あらためて

マリアの人生

振り返ってみるとさ

めちゃめちゃ

ファンキーでかっこよすぎる目がハート飛び出すハート

 

バリキャリだったし

”今”にフォーカスして”自分”

をどこまでも

生きてたんだなぁ

って思う

 

私も

そう在りたい

と今日もまた

思ったのでした

 

”今”にフォーカスして”自分”

で生きて

自分の人生生き切ろうではありませんかびっくりマーク

 

Thank u for ur time!

Love u guys oxox

 

じゃ、まったね~パー