祖母の命日でした。
当時大学3年だった私はその日に限って携帯電話を忘れ、帰宅したら留守電が入っていて、新幹線も終わっていたので24時間営業のレンタカーで車を借りて山形へ向かいました。
春休み中だったこともあり、たまたま前の週にお見舞いに帰っていて、それが最後になってしまった。
あれから21年。
ばあちゃん今年で96か、向こうに行くのちょっと早かったな…。
法学部を出て音楽の道に戻ったことも、なんとなく仕事になってることも、直接は伝えられなかったけど見ていてくれるかな。
生きてる間に練習じゃないちゃんとした本番での演奏を聞いてもらえたことなんてほとんどなかったんじゃないか…。
べにばな国体開会式のマーチングは見に来てくれた記憶あるな(笑)
思えばファンキーな祖母でした。
戦時中は国鉄の車掌をやっていたとかで肝も据わっていたし。
かと思えば手先が器用で手芸や編み物が得意だったり。
裏の家庭菜園で畑仕事もやっていた。
お手製の譜面台ケースまだ使ってるよ。
裏地がオシャレなのだ。
そういえば今の楽器も祖母に買ってもらったようなものだな…。
黒と金、祖母の好きな色でした。
不思議な巡り合わせ。

