私はスポーツ歴が全くありませんが、キネシオロジーを通じて、健全な選手人生をサポートすることを目指しています。
先日、息子(小6)の野球の試合を観戦しました。
グラウンドで子どもたちが試合をし、スタンドから保護者が応援しますそんな状況で、子どもたちの打席でのスイング見ていて、なぜバッティング練習のときとは違うスイングをするのだろう?と思ったんです。
ほぼ全員が、縮こまって振り切れていない。
中途半端なスイングなら当たったとしてもヒットにならないのに、どうして思いっきり振らないのか疑問に思うんです。
練習のときはフルスイングでカンカン打っているんだから、試合でこそそうするべきでしょう?
「そんな簡単に言うなよシロートが」
そう思われても良いんですが、私はなぜヒットを打たないのか?と疑問に思うわけではなく、『なぜいつも通りバットを振らないのか』と疑問なんです。
もちろん子どもたちのスイングは気まぐれだったりしますが、それも含めて『いつも通り振ること』は、理論上は誰にだって再現可能でしょう?
スポーツ経験のない私でも、緊張するというのが一因であることは想像できます。
が、『緊張するとバットが振れなくなる』というのは本当でしょうか?
2024年度から横浜DeNAベイスターズでプレーしている渡会隆輝選手をご存知でしょうか?
彼は、言い表すなら『持ってる』選手です。
ここぞと言う場面で、キラキラの目でバッターボックスに立って、フルスイングして、一塁を回ってキラキラの笑顔と共に全身でガッツポーズします。
社会人野球ENEOSに入ったときからそんな選手でした。
ドラフトで指名漏れを経験してENEOSに入部している渡会選手。
いつもにこやかに話してくれる裏には、絶対にプロ野球選手になってやるという反骨心とプレッシャーがあったはずです。
彼は緊張しないのか?
そんなことは無いと思います。
ですがバッターボックスに立つ彼の表情から感じるのは、『ワクワク』。
自分がこのあとヒーローになるのを既に知っているかのように見えます。
「見ている方に笑顔になってもらいたい。」
言葉の通り、彼の全力プレーは私をいつも素晴らしい気持ちにしてくれます。
さて、潜在意識カウンセリングを学んだ直後だった私は、この試合中に子どもたちに向けられる声援に注目してみました。
私はいつも、スタンドで応援する立場です。
勢いを失っているように見える子どもたちへ、スタンドの声援は力になり得るのか?考えてみたかったんです。
張り詰めた試合で、ひとりバッターボックスへ向かう背中はいつ見ても勇ましい。
勇敢なる戦士へ、どんな言葉が掛けられるのか。
そして、彼らはどう受け取るのか。
これ以降はフィクションです。
私の空想の物語ですのでご承知ください。
「三振するなよ」
勇敢なる戦士にこんな声を掛ける者はもちろんいません。
「黄色いゾウを思い浮かべないで」
こう言われて何が浮かびましたか?
「三振するなよ」と言われて頭に浮かぶのは『三振』して膝をつく戦士の姿です。
『結果』は、有能な戦士にも我々にもコントロールできることではないのです。
「ストライクだけ振れよ」
「ボール球振るなよ」
左中間を抜ける鋭いヒットを打つと決めていた勇敢なる戦士は、『ストライクを見極める』ことに対して闘志を向け始めます。。
「思いっきり振れ」
こちらも、ライトスタンドに放り込む予定だった戦士の闘志を『振ること』にスライドさせます。
「打てるよ」
You can make a hit.
この言葉は妄想の中でよく響きます。
canを使う言葉には『できないかもしれない』というニュアンスが入ります。
「打てるよ」と言われた選手の頭の中には『打てる自分』と、もれなく『打てない自分』がついてきます。
「打てよ」というのも同様な気がします。
「振る」は自分だけの領域ですが、「打つ」は相手の領域と神の領域が入ってきます。
自分の領域でさえ思い通りにならない状況で、神の領域にまで侵入するのは至難の業です。
そういう言葉には必ず裏に『打てない姿』がチラつきます。
「いつも通りいけ」
無理です。
今、この瞬間はいつでも人生初ですから。
「緊張すんなよ」
「緊張してんのか」
息子に掛けられると妄想史上最もムカつく言葉です。
「打つつもりで見逃せ」
投球前の緊迫した一瞬に耳に飛び込む『打つ』と『見逃す』の正反対の単語は脳をフリーズさせます。
「(ただ見逃すだけでなく)タイミングだけ取れよ」なら同じ意図として通じるのではないでしょうか。
結果、打者の脳内にはたくさんの戦が繰り広げられることがわかりました。
またまた、少し話を挟ませてください。
アマチュア球界の指導者としてこの上ない実績を残し続ける社会人野球ENEOSの大久保秀昭監督が、2021年に本を執筆されています。
この本めちゃくちゃ良書なのでどんな人にも一読してほしい。
私の夫は、大久保監督の下で10年ほど?選手として多大にお世話になった、元社会人野球選手です。
この本に監督と夫のエピソードを記載してくださってます。
ピンチの場面に立つ夫。
大久保監督が指示を出すためマウンドに向かいました。
そのとき掛けたのはどんな言葉だったのでしょう?
「お父さんが見てくれてるんじゃないか?」
その試合の2ヶ月前、夫はいつも応援してくれていた実父を事故で亡くしていました。
相手打者に対する戦略を言われるものだとばかり思っていた夫に掛けられたのは、亡き父が変わらず応援してくれているという事実を思い出させてくれる一言でした。
もちろん私は本を読むまでこんなこと知りません。
夫は、『父に、誇り高く戦う姿を見せる』という目標を思い出し、相手打者を打ち取りました。
大久保監督はこれをやってたんだ、と息子の試合を観戦しながらやっと気づきました。
大久保さんは「計算していない言葉」と書かれているので、意図せずそうしているとすれば、人間観察力がただものではない天性の指導者です。
打つ打たない、振る振らないのような結果に関することは言う必要はない気がするんです。
打ちたい気持ちは誰よりもある。
打つためには振る。
球を絞って振る。
そんなこと、泥だらけになって練習に励む子どもたちは知ってます。
技術に関することもそうです。
緊張しまくっているその打席で、細かい技術を言うのはナンセンスです。
今考えるべきはフォームのことではないでしょう。
明らかにいつもと違うフォームになっていることに気づくことには、意味があるかもしれません。
ただ、明らかにいつもと違うフォームになる『理由』理由にアプローチすれば、それは勝手に戻るとも言えます。
必要なのは、能力を100%(もしくはそれ以上)解放すること。
そうしたとしても、結果は半分以上打ち取られるんです。
打席に入ってバットを振る瞬間に、練習のときとは違う力が入る。
体が動かない(ブロッキング)。
イップスも同じです。
人に対してボールを投げる瞬間に、動きがわからなくなる。
壁に投げる時には問題なく投げられることが一般的です。
これらは脳の問題です。
大久保監督は、緊張を解いたわけでも、能力を上げたわけでもなく、『本来の力を引き出した』。
脳は、正しく目標を認識したとき最大限の力を発揮します。
さぁ、今この瞬間の『目標』は、
「三振しないこと」か、
「ストライクゾーンを見極めること」か、
「緊張しないこと」か。
息子は、見逃し三振ばかり続いた時期がありました。
5打席以上、全て見逃し。
毎日毎日毎日、素振りをして、やっと出れた試合では見逃し三振。
色々と思うところはあったでしょうけれど、自力でループを抜け出しました。
ただ、初めてヒットを打った打席を反省していくと、
「また見逃ししたらどうしよう」
という潜在意識が反応しました。
トラウマの種です。
彼が打席に立つ時には「また見逃ししたらどうしよう」が頭のどこかに巣食っています。
打席では、見逃し三振をするという妄想のストーリーと戦っているんです。
バッターボックスに立つ選手は、自分の頭の中で自分のストーリーと戦いながら、相手投手と向き合っています。
投手も然りです。
彼らに眠る無限の力を解放する言葉はあるのでしょうか。
私はその言葉を見つけるために、キネシオロジーをやっています。
キネシオロジーを実行し続けた先に、答えはあります。
そうやって、私は夢見る選手たちと伴走するんです。