迫害奴隷・黒人男・黒人女・白人女

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

聞こえる声と感じる事から考察します。

私と私の家族と私の家族に依存する女の関係性は、社会で起こることに例えることが出来るかもしれません。

迫害奴隷、と言う言葉は、ぴったり当てはまると思いませんか。

私の存在を迫害奴隷にさせないための正当防衛をやっていると、スゴい圧力をかけてくる何かがあることに気が付いていますか。

私がやったことは、頃合いをみて、美味しいとこ取りして当たり前の存在が大量にありませんか。

横取り思考当たり前ですね。

私はそう感じているのだと言えば、自分の証明を出すこと無く、自分は説明もすることがなく、認めることも出来ず、ただ攻撃的になり脅す存在があることに気が付いていますか。

これが、人格の否定ですよね。
感性を認めないんです。
だから辞めることもない。

自分が、悪質な存在であると言うことを心底認めたくない存在があるようです。

奴隷も迫害も、辞めさせることに物凄く時間を必要としたことを知っていますか。

何故だと思いますか。

もしかしたら、CWは、そこ(白人女)に関与する存在かもしれないことに気が付いた方がいいと思います。


私が、知っている限りの事を書きます。間違っているかもしれません。

ここで聞こえる声から考察しています。

だから過去には同じようなことが起こった可能性があるかもしれません。

白人女は、白人男の力を使い、黒人女から黒人男を奴隷にするために、引き離し、別の場所に無理矢理移動させ、奴隷にした。(金銭の発生はあったのかもしれません。)とします。

元々は、黒人も白人も別の種族として、存在していれば、やられる筋合いはなかったのかもしれません。

黒人男は、一切の意思がなかったのでしょうか。

引き離されて取り残された黒人女は、どうしたのでしょうか。

この現象が、私の家族間で初期の頃に起こった可能性を視野にいれてみて欲しいです。

私は黒人女に例えます。

白人女のような思考を持った男(CWが卵のときに、この存在のウンコでも浸したのかと思う存在)

そして、自分で思考力を持たず、力と利益に手を伸ばした、白人男と黒人男の集合体。

ならこっち、ならあっち、等と都合良く決めようとする節があると思います。

黒人女への見下しはスゴく都合良く迫害奴隷にされやすい、

白人女は優遇され、男はどっち付かずで居場所がない。

黒人女は当然許せないものがありますね。

男はどうしていいのか分からない、

白人女のような存在は、孤立してしまう。

この罪悪感は、とても根深いようです。

黒人女は実は着々と実力を身に付けていて、ハングリーに楽しんで生きている。

だからやたらと妬まれる。

自分の家族は大切にしながら。

最初から分かっていれば違った、

でもやってしまった後には、もとに戻すことが出来ない。

この繰り返しだと思いませんか。

他人を迫害奴隷に出来なくなると分かると、スゴく意地汚い言動をする存在がありませんか。

人の事ガン見して監視して、善悪関係がなく全てに自分の言葉をつける(評価)みたいなことをやりませんか。

今更なんなんだろうと思う黒人女と、

行き場を無くせば、都合良く白人女を使う男

言論の自由を奪うために支配と力を使う存在もあると思いませんか。

これを理解させるために相当な労力と時間を費やしましたね。

私のような考えには、自分でたどり着くことが、出来なかったのでしょうか。

出来たけどやらなかっただけだと思いませんか。

何故、私はやらなければならなかったのか、自己防衛のために費やした時間と労力に対価の支払いをする事は、当たり前であり、

スムーズに行うことも当たり前だと思いませんか。

私は最初から、子孫用女さえやっていれば、別に何もやらなくても良かったんですよ。

迫害奴隷は、社会では悪とされていませんか。

認められて当たり前でしょう。

無料の横取りが当たり前ですか。

打算と見返り有木で、自己防衛をするんですか。

自己防衛、してあげるのでしょうか?他人の為に?

この意識に気が付いていますか。

私が白人女のような言動をすると(真似)、物凄いケチをつけてくるけど、

自分は、白人女を利用して逃げることは当たり前なのでしょう。(自己逃避)

どうやら避難はダメだけど、自己逃避なら許されて当たり前だと思っているらしい。

選んでくるんですよ。

当たり前が出来ない。

私はただの好きを、認めることはありませんし、愛も恋も無責任を認めることはありません。

原始的な情動的好きなら認めますし、

医者に助けられたからあの医者が好きも認めますし、

近所のおばさんが好き(LIKE)も認めることが出来ます。

心が傷ついている理由は、ここにあると思いませんか。

ここに遺伝子問題が加わり、支配していても、分からないようにしている。

と言う感じなのかもしれません。

かなり精神性が幼いと思います。

その存在が、実権を握っていて、その存在よりも、自分の方が出来るから、付け上がっている存在もあると思います。

気を付けて欲しいです。

誰かよりもマシだと思えると良くて、自分の出来なさを直視することは、ダメらしい。

これを理解しないから、起こっている問題は、多数見受けられるのかもしれません。

自分のマインドを強めた方がいいと思います。

自己肯定のやり方をかなり間違えているけど、

認めることが出来ない存在が大量にあると思います。

修正は、出来ると思います。

時間を必要とするでしょう。

でもただそれだけなんですよ。

気が付いて変わるだけ。

間違え過ぎていると、認めることが苦痛なだけ。

何が指摘だと思いますか?

他人の事って関係がありますか?

私の自己肯定は、なるべく無害と境界線です。

だからいつも快適で他人なんか関係がなく、楽しめるし、

他人にそこまで勝ちたいとは思っていません。

必要なものは、お互い様。

細やかな幸せを感じて生きています。

これって平和的思考だと思いませんか。

正しさを競い会うこともなく、正しさを強調することもない。

だから張り合う事もない。

大切にされなかったから、大切にされないことが当たり前になってしまっていたのではないかと痛感しています。

大切にされなくても、本当に、愛されていなくても、生きていくことは可能だったと言うことになりますよね。

必要とされないと言うことは、使われないとも言えますね。

なんで私の真似をしたがるのか分かりません。

優しい時間なんか、私にとってはあって当たり前で、なんでそんなことに恩着せがましさを加えるのか分かりません。

私が作り出す空間を利用するなら、返して当たり前ですよね。

何のために自分の存在があるのか分からなくするのが、迫害奴隷だなと思います。

もしも別の誰かが、今初めて感じているのなら、迫害奴隷をされた経験が、今までに無かったのかもしれませんね。不思議ですね。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。