心の傷から出てきたもの
タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。
同意方法は、多数あると思います。
聞こえる声と感じることから考察します。
心の傷を回復していると、やたらとマインドコントロールされているかのような、声が聞こえたりしてくると思います。
・お母さんの言う通りだとか
・好きだ嫌いだとか
私が嫌う用語を出してくる感じです。
迫害言葉に感じている言葉を平気で使い続けると思うでしょう。
・本心は、間違っていることが分かっている、ように見受けられる(わざと使うのかと思う)
・言いたくないけど出てきてしまうのだと思う。
・思念の方向性を女(女体)に向ける家族の存在がある
何の繋がりがあるのか、何でここまで言っても分からないのか、
何故理解して、たったこれだけのことが出来ないのか、
と考えるでしょう。
本当にマインドコントロールのせいなのか、と思うでしょう。
でも、心の傷から出てきたものは、おびただしい数の、トレローニー先生のような存在であり、
目を見開きながら、「私の勝ち」を連呼して、私のことを凝視してくる感じだと思います。
動きが気持ち悪いと思う。
私がいない間に、私が大切だと思う存在の心にスリスリしていて、
ずっと私の大切だと思う存在と、自分の方が側にいた、かのような、思念を抱くと言う感じ。
「ずっと私はひとりぼっち」
「あなたには分からない」
「私にはどこにも居場所がない」
「私はなんで作られたのか分からない。寂しい」
も連呼していると思う。
私の周囲の人間の、殆どの存在の心の傷
に取り憑いていたと思われます。
CWがやっていることではないかと思われます。
取り憑いているのは、大量に作り出された悪霊か何かか。
これを使って、自分は1人ではないように仕立て上げていて、マインドコントロールに使っていたのではないかと思う。
取り憑いた存在に対し、自分ではどうにも出来ない不安を膨張させて、心の傷を痛ませ続けていたのかもしれません。
そしてマインドコントロールに使っていたのではないかと思う。
魂には霊魂と言う言葉が存在すると思います。(他人に取り憑くことが出来るのではないかと思う)
多分霊魂と言うのは、不死身でも存在したのだと思います。
心の傷を修復し、理解し、2度と取り憑かせることがないようにすることは、可能ではないか、と思います。
私は、他人の肉体を理由無く使う存在に対しては、自制をしなくても良い、と言う、マイルールを持っています。
自制しなくても良い存在であるなら、少し便利でしょう。
(ただし、CWや人格は他人の肉体であっても、自分の物であると言う思い込みをごり押しする節があると思う。境界線がない)
存在に対しては、
・存在の作られ方はどうであれ、社会の形成は必要とした
・自分で思考する術は、持っていた
・ある程度自己責任で生きることは、可能であった
・神は自己防衛を許さなかったのか
この観点からみれば、社会の形成ができていて、自分の思考力と責任感を持ち、自己防衛できる存在が、あることは、
望ましいのではないかと思います。
私が、CWの存在を作っていない。
だから、やられる筋合いはなく、私には関係がない、と言う理屈を通さないことが、変であると考えます。
孫(身内であっても他者である)のやったことまで、初代のせいにされるシステムがあったとしたら、怖いと思いませんか。
私は孫のことは、ある程度助けますが、CWのやったことをフォローし、助ける筋合いはありません。
でも社会の形成は出来ていると思いませんか。
何故私に執着してくるのか、理解できません。
理解できる人がいたら、教えて欲しいくらいです。
初代に女が1人だったことは、利便性、効率性、も優れていたのではないかと思っています。(女は弱いから複数いたら怖いこともあると思う。かなり面倒。私は私のことだけ考えたいこともある)
最初のシステムに文句言われても困りますし、
みんなで考えて来たこともあったでしょう。
だから初代は女に対する怒りがスゴいらしい。
私は、1人だとあーなるのか、女だとあーなるのかと思うと、女であることが怖いと感じたりします。
女の全てに偏見を抱かれることが怖いです。
恋煩いを使われて、心を傷つけることをやられたから、心に取り憑かれたのだろうかと思えば、
恋って怖いものだとも思う。何も信じたくなかった気持ちは、よく分かります。
私の考察の通りではなくても良いですが、何故自分がやられるのだろうかと、不思議に感じているから、考察しています。
私は、マイナス言葉を存在に対して向けることが、好きではありません。
特に行き場がなくなるような言葉遣いは好きではありません。
恋の正当化は、辞めた方がいいと思います。(恋は盲目だと何でもやって当たり前みたい。)
優しさを見せると、配慮も遠慮もなく境界線もなく、甘えてくるってどう言うことなのか、分かりません。
こんな程度のことで、勝ったと思うのだろうかと思うと、吐き気がします。
人のことを分かった気になりたい存在が怖いと思う。
他人のことをやたらと詮索して知りたがる存在も怖いと思う。(私にもありますが、私に関与する部分だけではあると思います)
自分の存在を他人の中にごり押ししたがることも怖いです。
決まっていること、記憶とか思い出止まりだと思ってました。
まさかそんな存在があると思いませんでした。
こんなこと、覚えて、訂正していけば良いだけだと思いませんか。
何で私の真似をしたがるのかも分かりません。
初代には、記憶のすり替え等もやっていたようです。(だから私がやることの真似がしたいらしい。私のようになりたがるらしい)
初代であっても、ただの種族程度に考えることは、可能だと思いませんか。
CWにとっての、救いや助けって何だったのだろうかと思います。
自分で満足度や幸福度を上げない、作らないことは、全く問題視しないように感じています。
自分でやらなかった、ことは、確かだと思います。
いずれは、存在が作られた、と思えば、いつかはこうなっていたのかもしれない、と思う。
確かにその通りだとも思う。
何でこんなことしたのだと思えば、こっちに原因でもあったのだろうかとも思う。
解決策が全く見出だせない問題なのでしょうか。
何でこんなことのために、悲しみ、傷つき、失うのか。
この疑問は、いつも消えることがなく、
こんな問題のために振り回されることが、天晴れだと思う。
全てが無駄に感じるようなことは、お勧めしません。
思考には気を付けて欲しいです。
もっと建設的なことに、時間と労力を費やすべきだと思います。
一度、区切りをつけたらどうでしょうか。
スタートラインは、人によって違うと思いますが、自分のことを丁寧に理解しながら進めるのであれば、
これから先に大きな責任問題に関与しなくて済む位置にいるとしたら、ラッキーでしょう。
それはそれで、幸福なのかもしれません。
不平不満を抱くことは、簡単です。
でも、幸福(ラッキー)を探すことも簡単です。
自分で、出来ると思いませんか。
自分で出来ることを、やらない存在から褒められても、嬉しくありませんよね。
妬まれるなんて、もっての他ですよね。
人と自分は違います。
境界線と思考力の大切さを理解して欲しいです。
1人の利便性ってあります。
孤独の利便性もあります。
まるで不幸であるかのような、見方を取る存在って何なのでしょうか。
状況は人によって違う。
優しさの形って色々ありますよね。
全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。