人格の出所

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

私は人格の出所は、母親にあるのではないかと思っています。

母親の妬みが生き霊になって、私の心の傷にでも取り憑いていたからマインドコントロールでも受けていたのではないかと思っています。

そのうち生き霊(人格)が私の肉体でも乗っ取ろうとしたのかもしれませんね。

私にとっては、居なくて良いのに、何故か居座るし、盗っていくし、

変でしょう。そんなもの望んでも居ない。

私は、私の肉体に変なことをやられないようにいつも気を張る始末だったのではないかと思います。

そのうちマインドを制するものは、人格を制すとよく意味の分からないポリシーを持つようになったのかもしれません。

だからマインドをやたらと強めた私の存在があったのかもしれません。

女をより理解することには、成功したのかもしれません。

罰するべきは、実は母親なのに、その実態は、何食わぬ顔をして隠れているのかもしれませんよね。

女だって母親にやられているのでは?

人格はもしかしたらそれを教えたかったのかもしれません。

私と言う存在は、隠れることが難しいのにそこまで悪質なことは出来ませんよね。

母親がやったことは、皆私が尻拭いしなければならないのでしょうか。

因みに、人格とセックスする時は、ダミーを使っていたらしいですよ。

私の人格が出てきたら、子供を作る、だから私の子供、なのだそう。

子育て中にも、私が出てこられる隙は、あったのかもしれません。

母親が子供に対して依存をするパターンは、多く存在しますよね。

依存がどれ程怖いものか、分かって欲しいです。

今のところは、私のマインドを強力に保つ工夫はしています。

もしも私の人格が母親だったのなら、母親の人生は別に存在したと言うことになりませんか?

なら、別に私の肉体を使った人生って人格に必要だと思いますか?

何故私自身のマインドを弱めようとすると思いますか?

人格を擁護するとしたら、何故でしょうか。

擁護の前に、やることありますよね。

感情や気持ちは関係がありますか。

私がやられたことは、私がやられたことです。

私は自己逃避や責任転換をしたいと言っていますか。

問題とは向き合いますが、別に向き合う必要の無い存在と、向き合う義務が私にありますか。

何故私が向き合いたくない他人と向き合わなければならないのか、何故、その他人から逃げたらいけないのか、私には分かりませんね。

向き合うよりは、ただのコミュニケーション、一期一会、社交辞令くらいが普通だと思いませんか。

それの何がいけないのでしょうか。全員出来ると思いませんか?

何で羨ましいのだろうかと思うのは、普通だと思いませんか。

境界線問題、人間関係の問題だと思いませんか。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。