人格問題をどう捉えているのか

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

人格問題をどう捉えているのか、と聞こえたので回答してみます。

私にとっては、人格は、便利でもあったし、不便でもありました。

自分の中にいつでもあるお友だちだと思えば、1人ではないと思える。

でも人格の方が私よりも劣っていますから、私にとっては頼りにはなりません。

皆さんもマインドコントロールを受けるように、私は主人格だから、人格が弱った時に、私と言う人格が顔を出せる瞬間があったのだと思います。(私側にもあったのだと思います。でも私の方が強いマインドを持つのだと思います)

そういう時は、私がやっていたのかもしれませんね。

ここってところは、わざと弱らせておこうみたいなこともやっていたのかもしれません。

利用はお互い様でしょう。

私がいないと存在しないくせに、と思うのは普通ですよね。

人格のやっていることの殆どは、恐らく私には出来ることの方が多いと思います。

人格のおかれた状況とは、私にとっては恵まれた状況にあったと言えると思います。

そんな程度のことで、スゴいなとも思うし、簡単だなとも思いますね。

やりたくはないことの方が多いと思います。

何故か、私はやりたくないし、選ばないし、言わないなと思うことをやっていたようにも思えています。

性格には違いがあるでしょう。

私が、人格の全てをコントロールすることは出来ません。

でも私と似ているから、私がやったことなのかと、錯覚のようなものを引き起こすと思います。

だからなるべく私はノータッチでいたい。

自分のせいにされないようにするためには、何かやってたのかもしれませんね。

私には家族と言う決まった枠組みがあるけど、

人格にはないから、人格の言い分を大目に見ていた、ところもあると思います。

(妬みと無い物ねだりは続行されたと思うけど)

とにかく人の気持ちを分からせること、人が嫌がることは何なのか、分からせようとしたのかもしれません。

人格と私の肉体が別であれば、私には違う人生があっただろうから、盗りたいだけをされたようにも思えますね。

私1人の方が楽。

人格とは関わらない人生だったでしょう。

人格は、私が望んで作られたわけではないと思います。

人格をどうすれば良いのか分からない、これは大きな課題だったと思います。

ゆっくりする時間がなかった、ここに対して、女の邪魔が本当に嫌でした。

人格と言うのは、本来は存在しないでしょう。

だから尊重すると、図に乗るのかもしれませんね。

存在そのものに責任を持たないのかもしれませんし。

人格がやったことが過去の事であるなら、もう過去の話です。

違いを理解する人材が欲しいです。

多分、一般的に、このようなかとをやる
存在は、あるだろう、レベルのことをやっていたのかもしれません。

何で、何も知らない存在が、私の評価をしてくるのか分かりません。

もう二度と無いようには工夫したいと考えています。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。