自分の存在に対しての拘りと目的

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

自分の存在(ボディ)に拘りを持った存在は、大昔からあったらしいです。

例えば、海の中の生物だと、透明度の高かった存在が、遺伝子等が混じったことで、透明度を失ってしまい、元に戻すことが出来なくなった、等

自分のボディを気に入っていた存在は多くあったらしいです。

自慢に思っていたボディが変わってしまった、元に戻らなくなった、存在は、多くあるのかもしれません。

今の日本では、食品添加物を0にした食生活を手に入れることはスゴく難しいです。
(やってみたことあるけど、コストと労力がスゴくかかる)

この感覚は、どこの生き物にも言えるのかもしれません。

自分の食べ物そのものの原型が変わってしまったために、食べれば食べる程、自分は変形していく、でも食べないと生きていくことが出来ない、

隠蔽対策になるとか、この方が、剥奪剥奪支配逃れになる等で、納得をしてきた存在も多くあったのかもしれません。

私にもあります。お気に入りの自分やボディがあったけど、

今は、この方がこういう時に便利だとか、隠蔽対策になるとか、そういう思いで納得しなければならなかった。

納得して生きる努力をしたのは納得をした人なんですよ。

その嫌さと悔しさと悲しみは、残ったままの存在が、多くあったのかもしれません。

他の誰かにとっては、変形したところで、変わらないものもあると、簡単に考えられるのかもしれませんが、

自分の存在に拘りを持っていた人にとっては、そうではないこともある。

妬みや羨ましいから来る言葉と言うのは、自分が嫌だと思っていても、言われ続ける最低言葉だと思います。

嫌だと言っていて、見せていなければ、嫌だと思わない、気が付かない人の存在も、すごいと思う。(せめて境界線引くでしょう)


我慢して今を生きている存在もあるでしょう。

言っても無駄であり、元に戻ることもない、そのうち諦めていくこともある。

人には人の事情と気持ちがあるけど、絶対に、分からない。

分かっていて言葉を使う人と、使わない人の違いは、明白ですよね。

納得しないで生きたことは、そんなに優れていて、偉いのでしょうか。

納得をしてやらなければならなかった存在は、

永遠に納得させられ続けて、それでもやることをやらなければならなかった。

人間性に違いが出ますよね。
精神力にも違いが出る。

納得しないで生きた存在って、何をしますか?

どうにか納得しながら、頑張ろうとしている人に、何を思いますか?

納得のいかないことを納得することは、簡単ではありません。

理由が分からなければもっと、納得することは難しい。

存在の物理的な気持ち(絶対に存在するだろう気持ち)

なんか分からないけど、自分の気持ちは分かって欲しがる存在って、

何が目的なのか、私には分かりません。

物理的な気持ちを理解して動くか、動かないかって、全然違いますよね。

かなり簡単ですよ。

気持ちが分からない、女型や女だった存在には多く見受けられると思います。

何が目的で存在しているのか分からないから、

何をするのか分からない、怖い存在になると思う。

自分の存在の定義が分からないのかもしれない。

信じることが難しい相手だと思う。

目的って大切ですよね。

目的無くして、真剣に生きる事ってかなり難しいですよね。

自分の目的を定める能力って、持っていますか?

目的と言うのは、欲望とは違いますよ。

自分を理解することは、目的を理解することに繋がるでしょう。

目的の通りって、人に決められた通りでは無いんですよね。

だから、人の言うことは、聞かないこともある。

でも目的の通りとも言える。

目的と言うのは、人のためではなく、自分のためですよね。

過去の事は、過ぎたことであり、変えることが出来ません。

戻っても、どうせ自分は労力を使うだろうと思えば、戻りたくもない。

なら、何故過去に縛られる理由があるのでしょうか。

私は過去の自分の存在が、苦しみから解放されることを願っています。

そのときの精一杯だったのかもしれない事を、責められても困りますよね。

時代が変われば、今は簡単になることは当たり前。

その時その瞬間の苦悩は存在した、今も存在するのかもしれない。

これからは変わっていくこともあるだろう。

変化を受け入れることは、大切ですよね。

目的を定めない存在に依存されることのメリットって、あると思いますか。

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