母親をやらない女型の弊害

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

聞こえる声や感じること、今世で学んだことから考察したことも含みます。

母親に対して信頼しないから、嘘つき、隠し事をして、自分の好きなことに突っ走るパターンが多いことに気がついて欲しいです。

私の場合、子供を育てるとき、子供が世間一般的に悪いことをしようとしたときには、

ママが見ている前でやりなさいと言うと思います。
私の悪口も私の前で言っても良いと言うことにしていたような気がするし、

怒る時には、気を付けようと思っていた気がします。

怒りのブレーキのことも考えていたと思います。

子供のうちから出来る限り、世間一般的な悪いことを教えていた気がします。

一時は、何が良いのか分からなかったけど、

自分に隠しごとをすること、嘘をつくこと、どこで何してくるか分からない問題は、大量にあるでしょう。

その時自己判断が求められるでしょう。

だから、世間一般的な悪いことを目の前でやらせ、自分で対処する知恵と工夫を教えること(自分で考えさせる)が一番的確な気がしていました。

これをやったら、これを言ったら、否定される、怒られると言うのは、あまり作らない工夫をしていたと思います。

やりたいか、やりたくないか、快適か、不快か体感させて、体感させて教えることは、かなり重要だと考えていました。

体裁の子育てでは、絶対に出来ないと思います。

母親のせいにされ、母親を悪者にする風潮があると思うからです。


だから、私に隠して嘘をついて、自分の好き勝手にやろうみたいな考えを示す人は、多分母親との関係性が構築できていないか、

母親との信頼関係を結べていないか、のどちらかなのかもしれません。

対人関係と言うのは、大概親子関係に起因するでしょう。

親子関係と言うのは、いつの時代の親子関係のことを言うのか、理解することは重要だと思います。

考察したことから考えたことです。

不死身の神の世界で、3代目子孫用女は、2代目の母親から、譲り受けた何かがありますよね。

みんなが欲しい、お母さん的雰囲気だったかもしれません。

その雰囲気は、私から受け継いだものもあるでしょう。

社会には、お母さん不在状態があった。母親は、自分に自由を与えず、虐待して、否定してくる。

親子関係の構築がうまく出来ず、母親と言う存在に嘆く人もいた。

母親が欲しい、そんな時に現れた、母親的雰囲気を持った3代目子孫用女は、愛であると勘違いした。

子供を産まない自分を求められることに、喜びを感じたのかもしれません。
(同時に家族に対しての罪悪感も芽生える)

社会には、女に嘆く存在が大量にあった。

父親は、男の気持ちは分かるけど、女の気持ちは分からなかった。

だから、両親共と信頼関係を築くことはできなかったのかもしれません。

母親が嫌がること(子供を産むこと=仕事であると認識すること)を娘まで言い出したら、女の存在が嫌になりますよね。

私に対しては、母親の投影や3代目子孫用女の投影でも行ったのかもしれません。

だから、母親には言えないことを、私に対して言うようなことばかり起こったのかもしれません。

そして私は怒り狂い、私の同世代の男も怒り狂った。

そして否定されることになった。

だから初代に対しての、逆恨みと腹いせ感情は大きくなった。

母親が欲しい。

母親との信頼関係は築くことが出来ない。

私との信頼関係を築こうとしても、母親の投影をしてしまうことが繰り返されたのかもしれません。

虐待や否定されることに対しての怖さもあったのかもしれません。

だから強要支配して私には、否定させないようにでもしていたのかもしれませんね。

優しさ(受容力)だけを求め、自由と知恵と愛だけを求めませんか?w

キーキー女には、言わせまくるけど、私には、言わせない風潮はよくありませんか?

どんな手を使ってでも、言わせないですよね。

自由を許さない。

キーキー女と比べたり、キーキー女と仲良くしていたり、スゴいでしょう。当て付けかのようにやる存在もある。


私との信頼関係を築くことが出来る存在に対して、やることは何だと思いますか?

罪悪感とは、こういうところに隠れていると思いませんか?

私のことが好きだの嫌いだの、頻発させませんか?

一貫できない言動を取る。

自分の気持ちばかり分かって欲しがる。

私ではなくて、女型が嫌なだけで、母親が嫌だっただけでしょう。

私には関係がないと言うことを一貫して保つことが出来ない。

精神の安定を計ることが出来ない。

精神が安定しないから、起こっていると思いませんか。

やったかやらないかの違いだけで、優劣ではないのに、評価さえしてくることを当たり前にしませんか?

こんなこと理解するレベルであり、学びだと思いませんか?

だからエリートや、勉強が嫌いと言う存在もあるのかもしれません。


私はまっすぐ生きようとする私の事も嫌い。

罪悪感も自己否定も強いから、私に対しての八つ当たりは、半端なく、だから迫害でもするのかもしれません。

私が女型を撤退批判したくなる気持ちってあまり分かってもらえることがありません。

寧ろそこまで批判したくなる気持ちを持つことも批判されることもある。
(存在と人格の否定に繋がる)

分かってもらおうとすると、スゴいこともある。

分かってもらうことが悪いことかのように思わされる。

共感してもらうと、まるで依存を恐れられるみたいに感じる。(そんな程度では、引っ付かない。懐くことはあると思うけど。)

同じような気持ちを持つ人たちと一緒の居場所があるとダメみたい。(見下しもくらう)

勝った気になると言うより、言う通りじゃないかと思う怒りと憎しみが吹き出す。

同種族が一番だと思う。

それを優越感だとアテレコされることもあると思う。

こんな程度のことで、自分の言動を変える存在には、引いています。

メンタルが弱い。

だから出来ないんだな、と痛感するから、教えているのに、悪いことなのでしょうか。

依存体質って何だと思いますか。

私はどのようにこの先に関われば良いのか分かりません。

あるとダメみたいな物の言い方をする人もいるでしょう。

人間関係の構築の基礎の基礎からスタートしなければならないのではないかと痛感しています。

これを認めて受け入れることが重要だと思います。

ここのプログラムを早急に作り上げる必要があるでしょう。

こんなことは簡単に出来ます。

こんな程度のことで、自分が悪くなる必要はないでしょう。

一応、書いてあることは、参考に出来ることがあると思います。

自分を出来るだけ等身大で認識することを心掛けて、

試行錯誤をしてみるのも良いかもしれません。

だけど、一度ついた癖と言うのは、簡単には治すことが出来ません。

でも良い方向性に向かわせることはできるでしょう。

私のピアノの指使いと似ている。

それだけの違いであり、勝ち負けより、楽しんだか、良い経験になったのか、が重要だと考えます。

私は大きくなって指使いの正しくないピアノを弾いている時に、苦戦することもあれば、楽しむこともあった。

これはこれで、楽しめている自分のことが、好きでした。

その時間はとても良い時間でした。

私は女だったから出来ることだったのかもしれません。

男だから出来ることはあるでしょう。お互い様だと思います。

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