女が何故出来ないのか

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。


女の最初の出所は、子孫用女から始まると思います。

考えられることを書きます。

私の場合、自ら子孫用女であると言う認識を持ち、自覚し、仕事として受け入れていて、自分の仕事が大切であると言う認識を持ち、仕事のために男と子供が必要であると認識していて、

仕事をするためには、自分の存在有木であり、自分の知識が仕事に役に立つと考え、経験と学びを重要視し、仕事(子育て)に取り入れる、

男と子供の存在の調子は、仕事(自分の存在)にとって重要であると考えて、守り大切にする、事が当たり前であると考えている節があると思います。

存在が生存するために社会も必要である。

だから社会を作り上げる、と言うスタンスなのではないかと考えています。

仕事用とは社会の形成(家族の基盤)に力を注ぐのかもしれません。

子孫用男も似ているのかもしれません。

だから利害関係が一致し、恋愛と言う言葉が当てはまるのかもしれません。

2代目世代は、私と言う存在から産まれた。

私(家族)と言う存在の維持や助っ人的スタイルをもしかしたら、持っているのかもしれません。

そして、3代目は、もしかしたら特にやるべき事がないと考えたのかもしれません。

何をするべきか、分からなかったのかもしれません。

仕事すれば良い、子孫も必要がないと考えていたのかもしれませんね。

何不自由無い暮らしだったことが予測されますよね。

与えないわけにもいかない。

産まれた時には、可愛がられ、大切にされ、守られた、

それが当たり前に続くのだと思っていた。

でも、子供を産み育てることは仕事であると言うのを、受け入れることが出来なかったのかもしれません。

愛ばかりを追い求め、自分の存在を見失ってしまったのかもしれません。

だから、子供を産むこと=仕事と言う当たり前のこと

に愛を感じることが出来ない。

何不自由無く可愛がられる事の意味と仕事と愛、自分の存在

境界線を認識できず、混乱した。
そして、答えを見いだすことが出来ないまま、大人になった。

だから、幼いのかもしれません。

幼いから、幼い頃のままの何かを求めたがるのかもしれません。

つまり自立できない。

身体だけ大人になり、セックスは出来る、そして子供を作り産むことが出来れば、誰でも子孫用女、という事になりますよね。

罪を犯せば、理解できない罪悪感が付きまとう。

仕事だけする、を全うすることが出来ない。

仕事の意味を理解することが出来ない。

愛が無ければ出来ない。だから恋愛ばかり追い求める。

それを否定され傷付くことになった。

ここから、女の存在があるとすれば、私とは、大分違いますよね。

長期間続けば、追い付くことも出来ない。取り返しもつかない。

後戻りできない、だからなのかもしれません。

自分の存在の扱い方が分からないのかもしれません。

考え方は大量に存在する。自分がどのような思考を持つか、選ぶことが出来た。

そしてその思考の選択によって、嫌なことから逃げることが出来た。


そして今に至る。

出来ない自分と、出来る人の違いを感じては、劣等感と罪悪感に襲われる事になった。

逃げるためには、罪を犯す必要があった。

認識力と自覚することは、存在によってかなりの違いがあるのかもしれません。

だから今の言動に反映されているのかもしれません。


女が仕事の邪魔であると考えた男は、女を邪険に扱うようになった。

女と言うのは、元々仕事の一部だったのに、それを認めることがなくなった。

一度スタイルを作り出せば良いはずの事だと思います。

生活もなにもかも、自分に合ったスタイルがあるハズで、他人とは比べる対象に無いですよね。

子孫にさえ困らなければ、子孫用女とは違う、別の形(仕事)を作ることが出来るでしょう。

そして、自立し、大人になり、罪を犯した分の更正をし、清算し、

これから先のバランスを考える。

これなら、誰にでも出来ると思いませんか。

子孫用女とは、子孫を残すための道具的存在だと思います。

存在その者が仕事道具でしょう。(男も同じだと思うけど)

子供を産み育てない時点で、女である必要性は、無いのかもしれません。

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