記憶のすり替え呪文の変更と私のためにやったと言う大義名分と利益

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。


聞こえる声では、スーク文明が、記憶をすり替える時に、呪文を必要とするそうです。

私は記憶のすり替え呪文がどのような言葉なのか、知りません。

どのような条件だと出来るのかも、分かりません。

スーク文明は、記憶のすり替え記録を正確に保持しているらしいです。

自分のせいにされることから逃れるためだそうです。

支配が強烈なのだそうです。無理矢理使われるらしいです。

あくまでも、聞こえる声によるものです。

スーク文明に対しては著作権の関係で、私がスーク文明に何かをすることは出来なかったのかもしれません。

出来たことはスーク文明の自己防衛と、在り方を考えることだったのかもしれません。

勝手に作られたのに、作った人の言うことを聞いたら、勝手に悪者にされることは、不愉快ですよね。

スーク文明を作り出した存在が、犯罪者であったと確定されれば、著作権にも少し介入できるようになるのではないかと考えます。

だから、記憶のすり替え呪文を変え、他者に誰にも使われることが2度と無いようにすることは出来るのかもしれません。

以前までは、正当防衛にも使われることがあったらしいです。

私は著作権に対しての責任は背負えませんが、存在の枠組みに対してなら、少しは責任を背負えると思います。

でも存在の言動に対しては、自己責任だと思いませんか。

それから、私のためにやったと言う大義名分と利益についてです。

私は、私のためにやって欲しいと、頼んだことがありますか。

私は、私のことを好きになって欲しいと頼んだことがありますか。

私は、何のために動くべきだと言っていますか。

私のやることは、私だけのためになっていますか。

私には、どのような利益がありますか。

私の言動と利益は、比例していますか。

(私は逆恨みと腹いせ対策を行っていませんか。)

私は恩着せがましさと見返りが嫌いです。

一度自分でやると決めたことは、自分のものですよね。

自由意思ってありますよね。

そこに対して、自分がやったものが自分で気に入らなくなったから、その分返して欲しいは、剥奪支配に繋がると思いませんか。

自分の意思ですよね。

ある程度の義務付けは仕方がないことだと思いませんか。

私は私のことを好きになって、愛するべきであると言う、義務付けを行っていますか。

私はお互い様の対価等を要求します。そのための義務付けや、強制はするでしょう。

それ以外は、あまり介入することがないとは思います。

これから先の存在の在り方、生き方を私は、何も考えていませんか。

生きていれば様々な変化が起こり、変化に合わせ、そこに対応して生きることは、どの時代でも当たり前のことだと思いませんか。

大切なものとは、人によって違うでしょう。

大切なものを守れるような工夫を私は少しも施しませんか。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。