中絶の罪悪感と被害に対してのモラハラ
タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。
同意方法は、多数あると思います。
中絶って知っていますか?
体内に器具を入れて、体内で子供を殺し、そして体内から子供を排出するんです。
その技術がいつから存在したのか分かりません。
体内で赤ちゃんは、閉じ込められたまま殺されるまで逃げ回るらしいですよ。
中絶と虐待どっちが、子供にとって嫌なのだろうと思った気がします。
江戸時代には、女郎は、中絶する時には、無理矢理子宮内をホジクリ返されたとか、聞いたりしますね。
自分勝手に女郎の世界に行き、自分勝手に性行為を行い、女に子供が出来ても性病になっても女に対して責任を取らず、
女が痛むだけ。
女郎の世界から女は抜け出すことが出来なかった、らしいです。
中絶すると、女の方が多分、重たい罪悪感を背負うのだと思います。
男って無責任ですよね。
男って何でやっても良いの?
ここってところだけは自分で気を付けることが出来ると思いませんか?
そしてあの女と比べて私は、可哀想ではないから、やっても良いと思ってませんか?
だから可哀想女を救いたいと言う大義名分でも作り出してませんか?
私にだけあるってなに?これって、制度の改革と、自分のコントロールで随分生活状況は、良くなると思いませんか?
精神的苦痛からも逃れることが出来ると思いませんか?
私も中絶経験は、とても大きかったですが、
私は、存在の否定をされて育ったところがあると思うので、こんな扱いを受けるなら、親が中絶でもしてくれれば良かったのに、と思っていたし、親にも言っていたような気がします。
産まれてくるより中絶された方が幸せだったんじゃないの?と言ったことがある気がする。
何かに頭に来ていたのだと思います。
だから、私みたいになるくらいなら、中絶した方が幸せなのだと、思いました。
更に障害者で生活も困ることになったら大変だと考えたからです。
大きな学習経験であり、教訓であったと思います。
罪悪感の嫌さを思う存分味わい、罪悪感をやたらと嫌うようになったと思います。
中絶の技術っていつからあったと思いますか?
昔はどのようにやっていたと思いますか?
あの罪悪感の投影でもしているみたい。
スゴく苦い経験をしたことがある、今は違うと思うだけ、マシだと思いませんか?
あれから逃れられただけ、今はマシってこと、結構あると思うんですよね。
その罪悪感とか、反映させていると思いませんか?
何かの被害に遭うと、必ず飛んでくるモラハラと強要と優越感ってありませんか?
私はお見舞いが大嫌いです。
被害に対しての心配も大嫌いです。
落ち込もうと何だろうと、個人の自由だったりしますよね。
お見舞いという体で、モラハラと強要と優越感を向けてくる存在って多くありませんか?
何で受け取れるのか分からない、と思うことが多くあります。
自己アピールもスゴい人いませんか?気持ちが悪いと思うけど、誰も気がつかないのだろうかと思うんです。
自分がお見舞いと心配されれば良いと思っている人って、スゴいと思うんですよね。
打算と見返りってスゴいでしょう。
皆割りきることが上手いんだなと思って生きていました。
だからこの程度の事は、平気だと思っていました。
自分がやりたいと思ったからやったことの方が多いでしょ?
なら私には関係がないですよね。
これ当たり前だと思いませんか?
全ての人に通用させて良いとおもいたせんか?
不可抗力の場合は、考慮されると思いませんか?
公正ってこう言うものだと思いませんか?
何で出来ないのか分かりません。
全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。