不安に突き進む遊び
タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。
同意方法は、多数あると思います。
私は子供の頃に究極に不安になった気がします。
どうしたらこの不安が無くなるのか、考えていました。
そしてたどり着いたのが、不安に突き進む遊びです。
これをやったら不安、あれをやったら不安、
こう言う考えを持つと不安、
それを探しては、この場合は、どうするか、どうしたら良いのか、を淡々と実践していました。
だから、大抵の不安には、対応することが出来るのかもしれません。
どこまで自分が不安に耐えることが出来るのか、不安の最大値と最低値は、何なのか、
この人の不安、あの人の不安を常に探しては、考えていました。
誰も一緒にやってくれる人はいないので、1人でやるしかありませんでした。
自分の弱点を見つけては、その克服方法を探していました。
それをやっている時がやたらと楽しかった記憶もありますし、
乗り越えた時の心地よさと実力を感じることも、やたらと嬉しかった気がします。
こう言うことは、私にしか味わうことが出来ないのかもしれない、と考えては、
自分にだけあるものだと思いながら、
何で私だけこうなのか、と言う疑問と常に葛藤をしていました。
あの不安に比べたら大したこと無いな、と思えることは、度々ありました。
もう2度とあんな不安は嫌だと思っていても、いつの間にか今なら平気だと思える自信すらついていました。
気が付けば、存在その物に安心感と自信がついていました。
社会さえあればとにかく平気だと思えていた、
そしたら存在さえあれば平気だと思えていた、
社会と存在と、システムが必要だと思うようになった、
そのうちに、心の傷も、悲しみも、痛みも、不安も、自分の中から、溶けていくみたいでした。
こんなに簡単なことだったのかと思えば、もっと早く分かっていればよかった、とも思う。
でもあの時のあの経験は、必要だったのだ、だから今に繋がるのだと思うと、
人生の不思議を感じたことを思い出します。
必要だから、起こることがある。
私は引き寄せと潜在意識を信じています。
その意味を勘違いする人もいるのでしょう。
不安定の中には、楽しさもある。喜びもある。
自分が産まれこの世に存在することの意味を何となく感じることが出来た。
マイナスの出来事を、ポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのかは、自分次第で決まるんです。
物事の考え方一つで、変わることがある。
不思議と心が安らぐような、無敵になれるような、不安に突き進む遊びは、
本当に役に立ったと思います。
不安定や不安に強くなると、かなり良いのかもしれません。
目に見える状況は悪くても、好転していく何かがあるのかもしれません。
これは、もう既に、私が成し遂げた経験から言えることです。
自己実現することが出来たのだと思えた。
そして今がある。
これが幸福と言うものなのかもしれ無いと私は思いました。
私は私が作り出した安心感に、依存して欲しくありません。
安心感と言うのは、自分で作ることが可能でしょう。
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