自己信頼がないから
タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。
同意方法は、多数あると思います。
自分にはこれだけしかない、この言葉って自己信頼がないから出る言葉のように感じます。
私の場合は、自分でこのようなことをやろうとか、こう言うルートを作ろうとか、これだけあれば平気、
と言える状態を自分で作るんです。
そして自立を心がける。
それから人に物を言うことの方が多い。
存在その者を所有物のようにして、これしかない、等とは言わないことの方が多いと思います。
人から得たものに対しても、失礼すぎて言えないことの方が多い。
システム上は、これしかない、ここしかない、と言う意味合いでは、言うかもしれませんね。
だから向き合うのでしょう。
自己信頼があるなら自分の存在があるから、出来ることがあると言うことを、理解して動くことが出きるでしょう。
基本的に自己責任が多いと思います。
だから他人に頼ったり、他人の物を奪ったり、他人に依存する必要がないようにするでしょう。なるべく出来る限り気をつけますよね。
頼るなら、対価交換、交渉、システム上の関係だったりすると思います。
人のための自分の存在ではありません。
人のためには社会の存在があったりするでしょう。
そこから自分を活用できるように工夫しようとかあるでしょう。
人の存在を見て自分と比べて、ある無し決めてくるの何でしょうか。
何でいちいち付加価値目線を他人に押し付ける(評価)のでしょうか。
人を卑下して否定して見てくる自分の目線に自分の意識を感じて、自分の意識改善も自分で出来ないのでしょうか。
不安で怖いと寄り付いてくるって何でしょう。
理由とかありません?説明とか出来ません?
自己信頼を作ろうとか考えないのでしょうか。
こんなことも分からない存在って、多分人間的、存在的に疾患を抱えていると思う方が良いのかもしれません。
だからシステムが機能しない。
ここに対策を加えると、どのようなものが適切だと考えますか。
まず存在その者が自己信頼を作り上げる
、不安と恐れを軽減させ意志を育てる必要がありますよね。
存在その者を消すことはできません。
責任が大きく、確実な方法は難しく、悪用に使われる可能性もあるでしょう。
だから面倒を見るしかなかったから、やっていたけど、そんなことも分からない存在もあったのでしょうね。
存在その者が、自分が育たなければ、出来ないことがあることを分かっていて、育たなかった可能性もあるでしょう。
だから自己信頼がないのかもしれませんね。
親に反発心を向けて、反抗したまま大人になった気になるやつっているでしょ、
あのまま死んだとすれば、その無念と後悔と罪悪感は、自分の中に蓄積されたままになるわけです。
それを今の自分が許すことが出来ず、受け入れることも出来ず、対処することも出来ない、
このような存在は多くあるのかもしれません。
特に、女と言う存在になってみて、女と男の違いが分からず、自分を使いこなすことも出来ず、失敗した存在と言うのもあると思います。
そうすると、反発心と反抗的なことを繰り返し自分の中に持ち続ける、そして人のせいにして逃げる、
と言うような繰り返しも起こるのかもしれません。
人格が自分の中に存在し、
多重人格者のようになってしまったりするのかもしれませんね。
(聞こえる声では、不死身だったとしても、あるらしいですよ。過去の後悔は付き物なのかもしれません)
私は人格に境界線を設け、この人格はこの人格、この時代はこの時代と言うように、ハッキリさせ
今は今、過去は過去、未来は未来、に持っていき、
出来れば、自分の過去世で深く付き合いがあった存在(システム上の事だと楽)のことを理解し、過去は過去同士でやってもらうことが良いのかもしれない、と思っています。
絶対に時代の差は考えておき、出来るだけ自分のこと以外は、口出ししないことが必要だと思います。
今の自分にしか出来ないことだけは、やっておく。
と言うような、形をとったりすることが望ましいのではないかと考えています。
過去の奴が出来なかったことをやると、羨ましがるみたいなことはあると思います。
まるで出来たらいけないみたいですよね。
私は他人の未来と幸福に対して、何とも思わないような存在でありたいと思っています。
完璧な境界線が必要です。
そのような存在は、無いのではないかと考えたりします。
他者のことを考えるなら、存在、安全安心、自己防衛くらいかなと思っていたりします。
こんなことは自分で生きていたら当たり前に求められることだと思いませんか?
少し出来ないくらいは、対応してくれることもあると思いますが、
それ以外は無理なことが多いですよね。
誰も分かってくれないって、何だと思いますか?
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