死ねるようにした自然界を作り出した私(神の世界のこと56)
タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。
同意方法は、多数あると思います。
聞こえる声から考察します。
大気だった私たちは(当時は女)大気中で不死身の存在だったらしいです。
軍事衝突が起こり、自分の気持ちとは、別のことをやり出す男の存在がとても嫌だったのだと思います。
どうすれば分かるのか、どうすれば良いのか分からなかった。失えば分かるのかもしれない、
そう考えたのかもしれません。
だから自然界と同時に、死ねるようにしたシステムを作り出したそうです。
(そして嫌だと死ねるようになったらしい)
女として、自然界に存在した。
その後、女の私は死んだのかもしれません。
神の男には、罪悪感と死を乗り越えることが出来ない傷が残った。
私と言う存在は、タマゴから、産まれることになった。
その存在は、男だった。
男だった自分は、子供を絶対に守る家族の存在(男)を何人か、作り上げた。
神の男は、男の私に隠して、初期の女の私のダミーを取りだし、
その存在を監禁し、愛し合っていたのかもしれません。
だから、今までずっと初期の頃の自分を
取りだし、
その頃の自分と、何かやってたのかもしれません。
その記憶をウンコ女とすり替えられているのかもしれません。
(今記憶のすり替えが起こるのかは分かりません。初期の頃に起こったことなのかもしれません)
ウンコ女は、その事を、知っていたのかもしれません。
子孫用が、率先してやっていたのかもしれません。
だから私は一人で何もかもやらなくてはならなくなっていたのかもしれません。
子孫用の存在は、人間の姿ではなく登場することが、度々あったのかもしれません。
女の私には家族の存在がなかった、パートナーの存在がない、だから、子供を守る新しい家族の存在も奪ったのかもしれません。
その為に、私の子供を守る新しい家族には、神の男が作った家族の存在があった。
だけど、女の幸せなんか、願いたくなかったのかもしれません。
家族の幸せなんか、願いたくなかったのかもしれません。
そして私は一人になったのかもしれません。
自分にはない、ある、で決める姿勢と言うのは、こう言うところから来るのかもしれません。
ウンコ女は知っていて、張り付いてくるのかもしれません。
証拠のためにこの世界が作られた、その証拠が取れれば、真相が分かれば、終わることがあった。
終わらせないために、ウンコ女は、張り付いてきていたのかもしれません。
今の私に依存しながら、ダミーは使う、
だからいつまでも出来ない。
遺伝子だけは必要だったのかもしれません。
私が作り出したものを使って、神の男に攻撃でもしたのかもしれません。
私にとっては、子供が友達(女友達)で、家族で、仲間なのかもしれません。
依存されるのは嫌だと思うから子供の世界は守るのだと思います。
だから子供のことだけを大切にする傾向にあるのかもしれません。
子供だけが私を救ってくれるように感じていたのかもしれません。
だから子供を殺されると思うのかもしれません。
私の存在は、子供たちのものだと思うのは、ずっと同じなのかもしれません。
神の男は、過去のダミーを取った、その時点で、子供からも、過去の自分からも、奪ったことになるのかもしれません。
だからウンコ女を除外することが出来ないままなのかもしれません。
神の男のことを私にやらせたい、
でもウンコ女は引っ付いてくる、
しかも誤解もある。
失うことも多い、
向き合おうとしても、嘘と隠し事ばかりで向き合う気にもなれなくなる。
神の男の中には、ウンコ女とセックスでもして子供でも作った存在すらあるのかもしれません。
神の世界で匿っているのかもしれません。
私のことが好きだとか、愛しているとか言う人って、必ず最後はこう、って言う存在が多いんですよね。
出来ないと、その出来なさを感じて逃げるとか、卑下するとか、
当て付けをするとか、勝ちたいとか、隠し事とか、嘘とか、
スゴいんですよ。等身大ではない。
盗りたいだけのおもちゃって感じ。
トロフィーみたいにでも思ってるんじゃないですかね。自分のための。
そういう苦しみから、解放されるだろうウンコ女って、何でなんだろうっていつも思うんですよ。
自分にとって必要なものが揃ってる状態で、同じような存在が沢山ある状態で、避難できる環境にあれば、かなりの幸福感が得られるはずなのに、
無い物ねだりって、スゴいですよね。
人のことなんか考えなくても良いようにしてるのに、何故自分のために必要なことが出来ないのか、分かりません。
何で痛手を負って、失わないと、分からないのだろうといつも思う。
今目の前のことを大切にすることで、傷付くことはあるし、裏切られることもあるけど、
でも、後悔がなく、清々しく前に進んで生きていくことが出来る。
いつも罪悪感と後悔ばかり待っていきる人とは比べ物にならない程の、気持ち良さがある。
私はこれをきっとずっと大切にしてきたのだと思います。
人に嫌な思いを押し付けて、過去のことを押し付ける存在とは全く違う。
その違いは、まずす私を孤独にしたのかもしれません。
だから、後悔と罪悪感をもち続ける存在同士は、お互いに、共鳴でもするんじゃないのか、と思っています。
だから、フェイドアウトもできず、境界線を持つことも出来ず、人の気持ちも分からず、表現力も乏しい。
だからつまらない、傷付けることが、当たり前なのかもしれません。
内心なんか、本当なんか、どう思っているのか、誰にも分からないことがあるでしょう。
言ってることと、やっていることの矛盾と言うのは、こう言うところから発生し、失敗し、後悔し、失い、傷付き、更に後悔して罪悪感を背負い込むだけなんじゃないかと思います。
心の傷を信じることが出来ない。
傷付きたくない、失いたくない、と言う思いを肯定することは、出来ません。
私にもありますが、私とは違うように感じています。
全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。