神の世界のこと28(ネコ仙人)

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。


ネコ仙人だった存在ってあったのかもしれません。

私は神の力は使うことが出来ないし、別に勝ちたいとも思わない、対等でありたいと思う、

ネコ科の姿を気に入っていた

神様が好きだから親しくしたいと思う。

特に男の神には世話になったなと思う。

言うことがかなり上からである。
(見下しとマウント対策でもあります。自分より出来ない存在が、何故言ってくるのか分からない、と思うからです)

だからそういう立場だったんじゃないかな、と考えました。

立場がなければ、私はやらないし、言わないことの方が多いけど、

言えるってことは、そうなのかもしれません。

ネコ科の母親からの支配逃れをして、兄二人と私が潜り抜けて得た地位がネコ仙人だったのかもしれません。

神様は、ネコ仙人の言うことに耳を傾けてくれていたのかもしれません。

皆母親からの支配逃れがしたかった。

私の場合は、肉食の母親だったから、すぐに威嚇してきたり、下手したら殺されたと思います。

それで、ネコ仙人まで上り詰めたから、やたらと兄に拘るのかもしれません。

私は自分さえ良ければそれで良いところがあるので、自分が困らなければ、どうにか生き抜くタイプのハズなのに、そうはならなかった。(遺伝子上は、一人で十分なハズですよね。)

母親はわざと、男を小さいうちに狙って、虐待したのかもしれません。

母親からの支配逃れで得た地位なのに、母親が自分の存在を強調したことにより、

子供側の怒りは母親に向いてしまった。

ネコ仙人の真似をした存在は大量にあったとします。

だから、いつまでも意識が変わらないままの存在があったのかもしれません。

ネコ仙人があまりにも妬まれることになったから、その事は、隠したのかもしれません。

支配逃れの真似でもしているかのようですよね。

自己逃避って。

だから神とネコ科の母親は、ママ友だったのかもしれません。

立場や物の考え方が違いすぎる存在と一緒にいても、あまり自分のためにはならないし、子育てに良くないですよね。

だから私なら避けるなぁと思っていました。

真似と依存、意識について、調べていたのかもしれません。

特に、母親が真似をして子供に教えると、仙人気取りのキモい母親になる。だから子供は母親を嫌がると思いませんか。

益々母親は、認められない。

真似した子供もいたのかもしれません。

もしかしたら今もどこかに、ネコ仙人が存在する世界があるのかもしれません。

私は、私の存在のためにやってきたのであって、なんで、他人のために証拠を取らなければならないのだろう、といつも考えています。

自分の出所が例えばネコ仙人だったとしても、私は同じではない、

自分の面影を感じて、似た仕草をするかもしれないけど、似てると真似だとか、言われそうで嫌だし。自分らしく生きることが出来ないし、監視されるし、付きまとわれるし、

一人にされるし、何でやられるのかも分かりません。


私の努力や経験は皆誰かの物にされるみたい。

盗りたいだけ盗られるなといつも思う。存在の始まりは、誰かであって、

その誰かの続きが私である。

何で?と思いませんか?


その当時は、スゴイものであった、でも今は当たり前になる。

これってよくある話だと思いませんか?


例えば医療なんかそうでしょ。

度重なる動物実験によって、犠牲になった動物がいる、動物によって、得た技術を人間は当たり前に使う、でも、動物の扱いって何でしょう。

私と違うところは、動物実験に使われる動物は、永遠に縛り付けられないし、監視をされないですよねw


神様が好きだと思う。感謝もする。

だけど自分はたかだか人間だし、ネコ程度であると思う。

だから、踏み込まない一線を持ちたいとは思う。けど慣れると友達感覚になる。

それが面白くないし羨ましがる存在もある。のかもしれません。

神様を孤独にすることは、良くないと思う。

神様達が出来ないことはやるべきだとも思う。(神様に対する対価)
でも、ご褒美を貰うこともあるのでしょう。

ご褒美目的なんて、嫌でしょう。

神の存在を大切にするなら神の世界でやるべきだとも思う。

自分にとっても大切だけど、自分有木ですよね。

ここってどうしたら良いか分からない一線だなと思う。

私も同じような気持ちを味わいます。

この人は、ご褒美目的だな、この人は、楽しみたいだけだな、この人は、利益が欲しいだけだな、この人は盗れれば良いだけ、この人は溺れ目あて

人を見てて考えることがあります。

自分の存在を他人にどう扱われるのか、怖くて仕方がなくなることがあります。

精神がブレると、良いって言ってたのに、やっぱダメだったのね、と有言実行しない存在もあれば、

それを正当化して肯定したがる存在もある。

まるで騙しの手口を肯定したいみたい。

精神不安定な存在が、大嫌いです。

自分がどうなるか分からないから、自分をセーブするって、当たり前ですよね。

それが出来ないから他人を傷付けることになる。

大切にしないってスゴイですよね。

存在を大切にして欲しいとは、あまり思いませんが、自分達の出来なさを押し付けてこないで欲しい。

私にも学びの段階や、実験段階ってあるんです。

それを盗み見て、否定批判してくる存在もあるのだなと思います。

実験ってエグかったり、キモかったり、恥ずかしかったりするんですね。

それを人に見られたくないけど、勝手に見てくるんですよ。隠しているだけマシだと思いませんか?

人に迷惑をあまりかけないように出来るんですよ。

自分でやらない存在は、簡単に見て分かるのです。

だから自分で出来ないの。盗作でしょ?

実験と試行錯誤を繰り返すから今がある。

他人のプライバシーを見て当たり前にすることを辞めませんか?

他人の尊厳を尊重しませんか?

私の今を否定してくるのは、何故だと思いますか?

しかも、過去からの感情や人格が、今を否定してくる。

変だと思いませんか?

私はマインドの弱さに原因があると思うんです。

マインドが本当に弱いから、起こったのではないかと思っています。

マインドコントロールのせいよりも、自分のマインドの弱さに、何故目を向けないのでしょうか。

私は、金や立場や地位が無くても、自分のマインドの弱さにはいつも目を向けるようにしていますよ。

こう言うところ不安だとか、こう言うところ苦手だとか、自分でやれる範囲はどうか、人に頼るべきかどうか、いつも考えています。

頼ることのメリットとデメリットってありますよ。

勿論支配もね。

誰も自分の存在を、無償提供してくれることはない、と言うことを理解していますか?

マインドの弱さを指摘して、取り締まる組織があれば良いと思うけど、これはとても難しいのかもしれません。

他人を否定する言葉を使う人には、無理なのだと思います。

否定にも大量に種類がある。

仕事だけなら、規定に基づいて、言動することは、可能だと思いますが、

いつも同じを求められると、窮屈なのに、いつも同じを求めて監視して、張り付いてくる存在もあるのかもしれませんね。

私は出来ない自分が、嫌いではありません。出来るようになるまでの創意工夫が好きだからです。

寂しくても置いて行きぼりにされても、黙々とやってることが、好きだからです。

自分が困らなければもっと良い。


自分の出来なさを感じる度に、自分はまだまだだなと思う。

そして、弱点を見つけては克服することを何となく続けていたのかもしれません。

その弱点を我先にあら探しして、揚げ足取りに使う存在もあると思いますよ。
勝ちたがりだと思います。

良くそこまで他人に対して出来るなと思いますよね。

その姿を肯定することは、かなり厳しいですよね。

自分もそういう時期(出来ない)があるなと、暖かい目を向けることが出来ない人に、人を育てることが出来るのでしょうか。

私の場合冷たい視線を送ることもありますが、その存在が、どこまでやるのか、見たいこともある。

年功序列と同じで、先に存在がある方が、偉いんですかね。

自分が盗み見て、監視する立場だと、偉いんですかね。w

そして評価を下すことが、理想形態だと思うのでしょうかw

証拠のためを終わりにして、世界を整える段階に入りませんか?


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