真似の思考回路があると思う。

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。

真似の思考回路があると思います。

本当の自分には目を向けずに、何者かになった気になって、自分を偽る真似です。

これ、説明が凄く難しいですが、解ければ、かなり真似対策になると思います。

とことん真似がしつこいです。

例えば、今の自分の思考回路って、結構色々なことを考えて、作られていませんか?


で、あの苦しい気持ちや、あのときの気持ちになる時は、こうすれば良いと、考えたりしませんか?

私の場合は、自分の本当は、どれで、あのときどう思ったから、今が出来たのかを読み解き、それから、その心の傷を回復し、

今の自分を修正しています。

私が犯人にやっていることは、こういときに、お前はこうやっていたはずだ、
本当はこうだったはずだ、というような、ことを永遠とやっています。

つまり、思考回路が出来る前の状態の時に働きかけをしているんです。

そして、犯罪に走るための思考回路を遮断し、ブロックするというような感じです。


犯人は、恐らく人にやられた経験がものすごく多いと思います。

人の心が傷つくパターンというのは、限られていると思いますから、想像することは難しくありません。


気持ち悪いから消えろ、いつまでここにいるのだと、私が言えば、本人はわかっているけど、真似して何者かになった気になって、しつこく入り込んでくる、という状態だと思います。

多重人格のようにも思えるけど、多分違うように思います。


自分の心を守るために真似をしているのではないか、と思いました。

心に傷をつけすぎて、自分の心がこれ以上傷つかないように、真似をしている、というような感じだと思います。


私は、犯人が過去に同じような傷を持ったときと、同じようなことをやろうとしています。

自分の心の傷を思い出させるんです。

そして自分で回復するための思考回路を作り、そして自分で対応させるんです。

自分という存在は、安心で安全でありたいと思うんですよ。

そうなるための方法や思考の仕方を間違えたから、今が出来たのだと思います。


例えば、自分に嫌な思いをさせてくる存在を言い負かし、蹴散らすことが出来れば、

自分は嫌な思いをしなくて済む、というような

それに加えて、物理的に痛め付ければ良いのだと考えたのではないかと思います。

自分が嫌な思いをしたときの、対処方法を知らない、と言うのが、大きいと思うんです。

間違えた対処法が、真似だったのではなかと思います。

真似をしている自分は傷つくけど、本当の自分は知られないから、傷つかない。そう思ったのではないかと思います。


傷ついたり、嫌な思いをしない人は、この世に一人もいません。

傷ついたり嫌な思いをしないために、もっとも簡単な方法は、境界線を持つこと、だと思います。


でも、犯人が私にやってくるように、境界線を越えて、嫌な思いをさせてくる人も存在します。

なるべく関わらないことですよね。回避することしかないと思います。

拒否をすることも必要ですが、拒否するときの注意点ってありますよね。

私は、概ね正しいと思える、法則やルールに従って動くことが、安全で安心かなと思いました。

でも自己責任ですよね。

心を守るための真似だとしたら、心を守りたいのは自然だから、いきなり真似を辞めることは、難しいと思います。


昔と今は、違います。

今は時代が変わり、物も豊かで恵まれている。

傷つくことが昔より少ないと思います。


例えば、情報を人に渡そうとしたのに、渡す前にやられてしまった。

等というようなことが、今は起こりづらいと思います。

つまり、渡すことが出来たから良かったと思えることが多いと思います。

それだけで心を守ることが出来ると思うんです。

だから昔のようには傷つくことが少なくなった。

過去の傷を思い出しても、今は平気だと感じ、今は違う言動をすることが出来る。

でも昔と同じことを永遠にやるというのは、変ですよね。

今を受け取ることができない理由があるからだと思うんです。

受け取ることができるようになるには、どうしたら良いと思いますか?

受け取れない理由を無くせば良いですよね?


思考回路に着目する方が良い気がします。

私には私の考えにたどり着くために理論等が沢山存在します。

犯人も同じであると、思う方が良いと思います。


そこには、誤解と勘違いが多いということを、忘れないで欲しいです。

犯人は、本来優しい存在であったけど罪悪感を増やしてしまい、劣等感を作り出し、衝動で犯罪を繰り返してしまった。

犯人の本来を知らないから、邪悪な存在であると決めつける。

決めつけて、攻撃を続けた、

ありふれていますよね。

これも誤解と勘違いの一種だと思いますが、

誤解と勘違いであったとしても、他人のことなんか関係がないのが、普通だと思うんですよ。


犯罪は犯罪でしょう。

そこをどのように考えるかだと思います。


自分には自分しかいない、のが普通です。

いつも一緒にいるのは、自分です。

自分のことが大切で、相手のことも同じように大切だから、大切にしたいから、一緒にいる、と言うのが、愛で結ばれると言うような、考えを私は持っています。


自分有木です。

自分有木の友達、仲間、家族、恋人、夫婦、親子です。


自分を見捨てている人が、どれ程羨んでも、他人の気持ちを手に入れることはできません。

私は今のところはこれしかできませんが、参考程度です。


でもここで感じているものは、昔よりも変わってきているとは思います。

聞こえる声や、感じている波動や思念です。

私にやらせるようなことをやれば、報復はしているような感じです。


やってあげたい人っています。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。