怒りを解放する

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。


怒りと言うのは、本来自分を守るために存在すると思います。


溜め込めば陰険になっていくと思います。

怒りは我慢するべきではないと私は思っています。

弱さなんて関係がありません。

弱い人でも強い人でも、怒りは沸くんです。


日本人は怒りを、他人を攻撃するために使いませんか?


喜怒哀楽と言うのは、自分が楽しむために、自分を守るために、自分のために存在する物であり、他者の為には存在しません。

それが感情だと思います。

自分を守るために最も重要なのが、怒りのコントロールだと思います。

誰にでも沸くのだから、コントロール出来なければ、危ない感情になるでしょう。


もっとも簡単な方法は、やめてを言うことです。

そのときその瞬間、やめて欲しいが言えることです。

拒否をすることです。

相手を傷つけることになっても、自分を守ることを優先させなければならないことがある。


その為に、言う言葉です。

辞めて!を言っても辞めなければ、辞めさせるまでやれば良いんです。


辞めなくても、辞めさせる場所に移動すれば良いんです。

本当に自分が傷つく場合などです。


当たり前ですよね。そのときその瞬間言わなければいつ言うの?

と言う感情を溜め込み、陰険になって、溜め込んだ感情が、他人への攻撃性に変わってしまうのなら、


そのときその瞬間言う方を選ぶべきでしょう?

自分を守るために必要ですよね。

溜め込まないことが大切です。

私は自分はこうだからやめて欲しいと言うような言い回しをします。


自己開示をするんです。

そうすれば、そうなのか、とわかってくれる人もいます。


言いたくても言えなかったこと、が存在すると、無念になったり、執着してしまったりすると思います。


後からイライラしたり、自分でも手に追えなくなると思います。

だから、そのときその瞬間言うんです。溜め込まないことが重要です。

直接言えることが望ましいと思います。


言えるか言えないかでは本当に違います。


言論の自由は大切です。

映画のハリーポッターに出てくるような、ヴォルデモート相手に怖いと思うことと似ているのかな?

名前まで恐れて言えない。

犯人のことだから言うと、張り付いてきたり、大人数で襲いかかってきそうではありますよね。

しかも自分よりも強い力を利用して。


やられても、言えたか言えないかは違います。

私は、昔は言えなかったけど、言えるようになるまでに沢山練習をしてきました。

言えない気持ちはよくわかります。言えば次に何をされるかわからない。

でも、言わないと、溜め込むだけになります。

時には数を集めて笑ってくる人もいましたよ。

だけど言うんです。

私は一人。弱いんですよ、そう言う人って。弱い証拠だ、向き合う力がないのだ、と思うんです。(残念ながら日本ではそう言う人しか見たことがありません)

私の方は怒りが吹き出して、収まらなかったこともありますが、言わないよりましです。

昔の溜め込んだ怒りが吹き出したのだと思います。

今は普通に言えますよ。昔は涙が出てきてしまったり、したこともあります。

罪悪感(こんなことで怒るなんて私が間違っているような気がする奴)や恥ずかしさに襲われたこともありますが、

でも、その繰り返しで今の私はあります。


相手の力が強い場合、同時に敵の数よりも、多い、数ヶ所で言うことが好ましいと思います。

一点だけを狙えないようにするんです。

狙われても言論の自由の方が大切です。

世界中で自由と民主化は勝ち取ってきたものだと思います。

そうでなければ、独裁をされるだけでしょう。

誰かがやってくれるなんて、大間違いです。

日本は自由と民主化を勝ち取ってこなかったから、今何をすれば良いのかわからないし、出来ないのでしょうかね?

日本は何故、民主主義なんですか?


正常な人間と、正常な社会を、世の中に。

怖くて言えない問題は工夫することをおすすめします。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。