出来ない人間の存在価値


タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は、多数あると思います。


私は子供の頃から完璧主義でした。
完璧主義だから、自分の出来なさを嫌い、とことん努力して、出来るようにしてきたことが多かったんです。

気がついたら努力量は、人よりも上回り、今に至ります。


その過程では、失敗をすることも多かったし、恥ずかしいと思うこともありました。

だけど、それでも、その感覚や気持ちと向き合いました。

私は自分の失敗を許すことが出来ませんでした。

自分の出来なさを許すことができなかったんです。
人よりも勝ることがあったハズなのに、私は、自分は、出来ない人間だと思うようになりました。

自己を上手く肯定することも出来ず、自信もありませんでした。

自分はなんのために存在するのかもわからなかったし、

出来ない人間を、とことん嫌いました。


あいつと同じにするな、そう言う見方
で、いつも人を見ていたと思います。

でもそう言うとき、ギスギスしてとても疲れました。

私は、人からは離れて専業府主婦になりました。

でもそこにはやっぱり人間関係の世界があるんです。


人の出来なさも目立ちました。

私は子供に出来るようになることばかり教えたなといつしか思うようになっていました。

だけど、それって何か違う気がしていたんです。

本当にこれで良いのかと、不安になるようになりました。

私は子供に押し付けたのではないかと、か反省するようにもなったんです。

そして周りを見ました。

出来ない人でも、楽しく生きられている人がいるのに、どうして、出来るようになる必要があるのかな、と。


私は完璧主義を捨てる努力をしました。

そして、世界一ダメな母親になることを決意しました。


だから、出来るようになることを子供に押し付けなくなったんです。
(無理強いはしていないつもりです。)

出来なくても楽しく過ごし、学びたければ学べば良い。そんな子育てをしてみることにしました。

そしたら、快適でした。


出来ない人って、出来ないけど、出来なさの中で楽しむことが実は存在価値何じゃないかなと思います。

だって励みになりませんか?

そう言う存在を見ていると。

自分は出来なくても良いなと思えるとか、出来なくても楽しめるなとか、教えることが出来る。

完璧ではなくても良いと思える。これって大切だと思いませんか?

完璧にするところは必要だけど、特性の問題ですよね。


犯人は、自分の特性を悪用したんじゃないかな。

元々、出来ないと言われていた、劣性は、存在価値がわからなかった。

だから、他人に劣等感を教えると称して、自分の体を分裂し、他人に寄生する、寄生虫のようになったかもしれません。


そして他人の劣等感と罪悪感を吸収し、肥大化した。

寄生虫がとりついたところに、犯人は、他人の中に細胞を残したのかもしれませんね。

そしてその細胞と共存しなければならなくなった。


だから自分の存在価値を他人に求めるし、人に認めてもらい、必要とされたがる。

自分の存在ごり押ししませんか?

自分はあなたのために必要な存在です。みたいに。勝手に決めてきますよね。

自分の存在を使って、邪魔したり、攻撃してきますよね。

そこから始まったのかもしれませんね。

日本社会って同じようなことやりません?

必要なものを自分で求められないって感じ。

他人が必要だと思うものを押し付けてきて、人に気持ちは無視し、本当のことは隠しますよね。


こんなこと当たり前にしてきた歴史は、恥ずかしいからとても人に知られたくない。

だから隠蔽をする。

それと、人から時折臭う死臭って、犯人が細胞を振り撒いた臭いなんじゃないかな、と最近思うようになりました。

犯人の細胞が、自分の中で、死んでいくから、臭っているのかなと。


自分の細胞が、犯人の細胞と戦うことにした臭いなのかもしれませんね。

だってどう考えても死ぬ必要がない人から死臭がすることがある。

そんなに影でこそこそ死ぬようなことをやっていた人が多かったと思いますか?

細胞を使って、何かやられていた、とは思いますよ。

犯人の細胞を持っていると犯人の所有物に認定されるみたいなことは、起こったと思いますし。

だから、昔は死臭がしたのに今はあまり臭わなくなった人、とかもいるのかなと思います。


私は全ての生命体は、必要だから、存在すると思っています。

出来ない人間が、必要とされることって、これなのかな?と思いました。

出来なさを人に強要してわかってもらうって、変でしょ?


出来ない人間には、出来ないなりの特性があると思います。

全ての投稿で、誤字、脱字、翻訳、等には気を付けて欲しいです。