ゲームに学ぶ真実

タイトルについている●は、同意をしてから見る記事です。

同意方法は多数あると思います。


私は子供の頃から、ゲームにはまっていた時期があります。

ゲーム機は、新しい物が出る度に、購入していた記憶があります。


ゲームをやるからだと言わんばかりに視力が物凄く落ちた記憶もあります。

視力を落とすような、何かは存在しそうですけど。


ゲームと言うのは、面白いもので、結構沢山のことを学ぶことが出来ます。

私は今久しぶりにゲームを手に取り、過去の記憶を念入りに思い出す作業をしています。

そう言う時間が出来たことは、嬉しいです。

ゲームから学べることは、負けることですよね。

負けを認めなければもう一度やろうと思えません。

負けたけど、またやり直す。

この作業をやりますよね。


時には最初からやり直し、と言うことも存在しますよね。


私は体裁を懸命に作ることより、この作業を行えることの方が重要に思えるんですよね。

負けを認めてやり直す。

次はもっと上手にやる。

この作業は、真実を探るために必要だと思いませんか?

だって真実を探ると必ず妨害や嫌がらせを受けませんか?

でも、上手くやらなくてはならない。


時には負けて死ぬこともあります。

現実は死んだら生き返ることは出来ません。

だから死なないように工夫する必要があります。


敵の出方も特徴的ですよね。

このときこう言う場面で敵が出てくる。

ゲームは教えてくれる。今も同じような感じみたい。

私はゲームは何か必要なことや真実に近いことを教えているような気がしています。

ゲームの世界にのめり込むと、自分だけの世界が存在しますよね。

自分の世界に介入して欲しくない存在からの逃げにも使えます。

世間はゲームを否定し、体裁を評価します。

今必要なのって、理解力ですよね?

体裁がそこまで必要ですか?

体裁と言うのは、家はいつも綺麗で、人様には良い顔して、自分の内面は隠し、ポジティブで、家事育児をこなす人間、とか、そう言う感じでしょうかね?


私は体裁を作らないし体裁の子育てもしません。
子供の心は体裁を作っていたら守ることが出来ないし、本当に必要なことも教えることが出来ないのだと、私は育児中に考えました。

だから自分の体裁を全て、無くすことにしたんです。

今私にやってくることは、体裁の通りの言動をしているか、を監視されているようなことです。

過去のことも含めてね。

あら探しですね。この人はこう言う体裁が作れていない、と私に対して評価をしてきます、


だから子供を返さない理由にするかのようにね。


体裁を作らないことで劣等感でも植え付けたいみたいでしょう。


体裁作らなくても仕事だけしてれば良い話でしょう?生活できていれば良いはずでしょう?


ゲームの場合は、死んでも大きいままやり直しだけど、人間の場合は、死んだら、赤ちゃんからやり直し。

敵はいつでも邪魔と妨害を繰り返している。

子供が5歳まで生きることが難しい国も、あったようですよ?


どう言うことだと思いますか?


体裁の評価って、何故存在すると思いますか?

何でゲームをやることがダメだと思いますか?


何故個人の自由を他人が批判すると思いますか?

母親のゲーム批判は凄いこともありました。


私は子供達が、健康で活発に生きることが出きるように、外遊びを重要視していたので、ゲームは与えなかったことは多かったです。

外でお友達とコミュニケーションを取る。それが出来てからゲームを与えています。


理解力は大切ですからね。

教えることは、人間は一度死んだら、生き返ることは出来ないこと、自分の時間の使い方を覚えさせることだと思います。

理解しないけど体裁は押し付けることを当たり前にする、私がやられてきたことですよ。


体裁を押し付け、体裁を強要する行為を探ると、わかることがあるかもしれません。

それによって、何が得られると思いますか?


証拠にも使えるかもしれません。

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