には、脳出血をした記録があります。
それがあると、脳のデジタルで撮影した記録が残ります。
私はなぜ脳出血をしたのかを理解できなかった。
前例がありません。
データは家にあって、脳の画像を見ることができます。
左側がやっぱりすこし右とは違うようにおもいます。
医者は私にはなにも言いません。
記憶になにかやられたのかもしれません。
私は、CTなど映像が、何かの画像とすりられることはないのか、医者に聞きました。
それは、絶対に出来なくしてあると言っていました。
頭が左右対称じゃないことは、勿論あると思いますが、変だなと思うことは、確かにあります。
検査ではなにも言われません。
観てもらう先生も変わっています。
脳出血をしたのは、隠蔽を防ぐためなのかなと思いました。
脳出血をしたとき、ICUで、看護師が私のそばにいました。
昨日医師とかが、何かの集まりをしたとかしないとか。
看護師が私の側に来て、どうしよう、私怖いと漏らしていました。
何が?と聞いたけど、なんでもないと言った。
私は、医者にセックスの強要でもされたのかと思っていました。
それなら怖いわなぁと、思っていました。
そんなこと、ザラにありそうだから。
着替えするときカーテンからチラ見しようとしたのか?と思えることもあったし。担当医ではありません。
気持ちが悪かった。
それから、まだ若いのに、旦那と子供がいて、頭が来るって、ベッドに縛り付けられている人もいました。
脳だからそういうこともあるだろうと思ったけど、縛り付けるの可哀想だよと看護師に言ったら、先生が決めているんだと言いました。
まだ若いのに、歩くこともでないで狂って、人に支えられている人もいたし、夜中に、ピーって言う電子音と、お父さーんと、泣き叫ぶ女の人と、バタバタと走り回る音が響きました。
私はとても怖かった。
体がこんな状態で地震が来たらどうしたようとおもったから、自分で避難経路とか、もしもの時の行動を考えてはいました。
家遠いから、死んだら大変だと思いました。
脳出血をしたわけがわからなかった。
隠蔽対策のためだったのかと、今は漠然と思っています。
私には、新しいチャンスと出会いがありました。
全く新しい世界を知ることは私にとって楽しいものでした。
でも、すぐに飽きます。
それから、リハビリも楽しかった。
同じようなものでした。
でも、すぐに飽きます。
新しい環境と出会いは、多くのものをもたらしてくれます。
だから、新しいものに飛び込むことは、例え不利になっても、悪くはないんですよ。
その時には、死への興味もあったから、私は死ぬことは怖くなかった。
気を失ったとき、あー、これでやっと終わりと言う気持ちもありました。私の人生は終わりなんだなと思って気を失った。
死ぬときなんて、ビックリすることが多すぎて、怖い気持ちとかよりも、怖いとか言ってられないよ。
想像すると、怖いけど、死ぬ瞬間て、そんなでもない。
誰かに、相手に、非を清算してしまうと、なんでもないし。
私はそうでした。
子供を残していくことが、私には、何よりも気がかりでした。
目が覚めたときは驚きました。
今感じている怖いは、思い出し怖いか、妄想じゃない?
子供の頃に感じた怖いが、残っているとか。
先にどうなるかわからない恐怖。
そんなことみんな同じだろう(笑)
どんなに平凡でもある日子供が死ぬことはよくあるし。
それは怖いことだよ。
私が小学3年の時、叔母さんがディズニーランドんに初めてつれていってくれました。
その日の夜か次の日か、出ていった父親が、2階から侵入してきて、家の中で暴れました。
母親の首を絞めて、花瓶とかなげて、怒鳴りあう声とか、花瓶が頭に当たって、血が流れているところとか。
怖かった。
きっと嬉しいことがあったからそう仕向けたのだと今なら思います。
でも怖いことより、楽しい方が上回ります。
そういう意味では感謝しています。
私は、一人だけ一階にいて、殆どの様子を一人だけ見ていました。
祖母と一緒に寝ていたからです。
そのときのことを思い出すと怖かったけど、注意すれば怖くないですよ。今なにもないからね。
男の人の低い声や怒鳴りあいは今も怖いことがありますが、でも、昔とは違うから、そこまでじゃない。
それから、叔母さんたちと池袋に遊びにつれていってもらったときに、人が誰かにぶつかって、倒れて、血が広がるところを見ました。
大きな物音と、声と、それから、頭を床に強く打ち付ける音。
その事が忘れられなくて、怖かった。
カフェに入って、サンドイッチを買ってもらったけど、怖くて、それどころではありませんでした。
おばあちゃんは、心臓の病気で二回くらいは倒れて、手術しています。
ペースメーカーが入っていましたが、死んだときには、もう長いこと止まっていたようです。
祖父は、車の衝突事故を起こして、足のお皿を割りました。
それから歩けなくなって、介護が必要になった。
自分だけが自分だけでやりたいことをやることは、きっと失敗に結び付くけど、自分だけが良い思いをしようとかね。
自分の非を隠していると、バレてしまうから、協力することが出来ないのかもしれません。
非難されて嫌われたくないから。
見捨てられたくないから?
本当に隠すことが、見捨てられないようにすることだったのか、疑問です。
子供の頃は、怖い気持ちが先走ったけど、今なら、あの頃とは違う自分がいると思うと、自分の成長は、嬉しいものがあります。
成長するって嬉しいよ。
心の成長も、精神の成長も、肉体の成長も。
私の成長を誰よりも喜んでくれる人がいると思ったのだろうか、
そしたら、見せてあげたいと思うのは、自然なことだと思います。
私が何がなんでも幸せであろうとしたのは、きっと、私の成長を喜んでくれていた人のためだったのかも。
子供のためも勿論あるけど。
本当に感謝をして、本当に恩返しをしようとする人って、日本にはいるのか疑問に思います。
わたしは、そうだから。
それがあると、脳のデジタルで撮影した記録が残ります。
私はなぜ脳出血をしたのかを理解できなかった。
前例がありません。
データは家にあって、脳の画像を見ることができます。
左側がやっぱりすこし右とは違うようにおもいます。
医者は私にはなにも言いません。
記憶になにかやられたのかもしれません。
私は、CTなど映像が、何かの画像とすりられることはないのか、医者に聞きました。
それは、絶対に出来なくしてあると言っていました。
頭が左右対称じゃないことは、勿論あると思いますが、変だなと思うことは、確かにあります。
検査ではなにも言われません。
観てもらう先生も変わっています。
脳出血をしたのは、隠蔽を防ぐためなのかなと思いました。
脳出血をしたとき、ICUで、看護師が私のそばにいました。
昨日医師とかが、何かの集まりをしたとかしないとか。
看護師が私の側に来て、どうしよう、私怖いと漏らしていました。
何が?と聞いたけど、なんでもないと言った。
私は、医者にセックスの強要でもされたのかと思っていました。
それなら怖いわなぁと、思っていました。
そんなこと、ザラにありそうだから。
着替えするときカーテンからチラ見しようとしたのか?と思えることもあったし。担当医ではありません。
気持ちが悪かった。
それから、まだ若いのに、旦那と子供がいて、頭が来るって、ベッドに縛り付けられている人もいました。
脳だからそういうこともあるだろうと思ったけど、縛り付けるの可哀想だよと看護師に言ったら、先生が決めているんだと言いました。
まだ若いのに、歩くこともでないで狂って、人に支えられている人もいたし、夜中に、ピーって言う電子音と、お父さーんと、泣き叫ぶ女の人と、バタバタと走り回る音が響きました。
私はとても怖かった。
体がこんな状態で地震が来たらどうしたようとおもったから、自分で避難経路とか、もしもの時の行動を考えてはいました。
家遠いから、死んだら大変だと思いました。
脳出血をしたわけがわからなかった。
隠蔽対策のためだったのかと、今は漠然と思っています。
私には、新しいチャンスと出会いがありました。
全く新しい世界を知ることは私にとって楽しいものでした。
でも、すぐに飽きます。
それから、リハビリも楽しかった。
同じようなものでした。
でも、すぐに飽きます。
新しい環境と出会いは、多くのものをもたらしてくれます。
だから、新しいものに飛び込むことは、例え不利になっても、悪くはないんですよ。
その時には、死への興味もあったから、私は死ぬことは怖くなかった。
気を失ったとき、あー、これでやっと終わりと言う気持ちもありました。私の人生は終わりなんだなと思って気を失った。
死ぬときなんて、ビックリすることが多すぎて、怖い気持ちとかよりも、怖いとか言ってられないよ。
想像すると、怖いけど、死ぬ瞬間て、そんなでもない。
誰かに、相手に、非を清算してしまうと、なんでもないし。
私はそうでした。
子供を残していくことが、私には、何よりも気がかりでした。
目が覚めたときは驚きました。
今感じている怖いは、思い出し怖いか、妄想じゃない?
子供の頃に感じた怖いが、残っているとか。
先にどうなるかわからない恐怖。
そんなことみんな同じだろう(笑)
どんなに平凡でもある日子供が死ぬことはよくあるし。
それは怖いことだよ。
私が小学3年の時、叔母さんがディズニーランドんに初めてつれていってくれました。
その日の夜か次の日か、出ていった父親が、2階から侵入してきて、家の中で暴れました。
母親の首を絞めて、花瓶とかなげて、怒鳴りあう声とか、花瓶が頭に当たって、血が流れているところとか。
怖かった。
きっと嬉しいことがあったからそう仕向けたのだと今なら思います。
でも怖いことより、楽しい方が上回ります。
そういう意味では感謝しています。
私は、一人だけ一階にいて、殆どの様子を一人だけ見ていました。
祖母と一緒に寝ていたからです。
そのときのことを思い出すと怖かったけど、注意すれば怖くないですよ。今なにもないからね。
男の人の低い声や怒鳴りあいは今も怖いことがありますが、でも、昔とは違うから、そこまでじゃない。
それから、叔母さんたちと池袋に遊びにつれていってもらったときに、人が誰かにぶつかって、倒れて、血が広がるところを見ました。
大きな物音と、声と、それから、頭を床に強く打ち付ける音。
その事が忘れられなくて、怖かった。
カフェに入って、サンドイッチを買ってもらったけど、怖くて、それどころではありませんでした。
おばあちゃんは、心臓の病気で二回くらいは倒れて、手術しています。
ペースメーカーが入っていましたが、死んだときには、もう長いこと止まっていたようです。
祖父は、車の衝突事故を起こして、足のお皿を割りました。
それから歩けなくなって、介護が必要になった。
自分だけが自分だけでやりたいことをやることは、きっと失敗に結び付くけど、自分だけが良い思いをしようとかね。
自分の非を隠していると、バレてしまうから、協力することが出来ないのかもしれません。
非難されて嫌われたくないから。
見捨てられたくないから?
本当に隠すことが、見捨てられないようにすることだったのか、疑問です。
子供の頃は、怖い気持ちが先走ったけど、今なら、あの頃とは違う自分がいると思うと、自分の成長は、嬉しいものがあります。
成長するって嬉しいよ。
心の成長も、精神の成長も、肉体の成長も。
私の成長を誰よりも喜んでくれる人がいると思ったのだろうか、
そしたら、見せてあげたいと思うのは、自然なことだと思います。
私が何がなんでも幸せであろうとしたのは、きっと、私の成長を喜んでくれていた人のためだったのかも。
子供のためも勿論あるけど。
本当に感謝をして、本当に恩返しをしようとする人って、日本にはいるのか疑問に思います。
わたしは、そうだから。