あなたが思うシーレーンはどれくらいの規模で、どれくらいの長さで、どれ嫌い大きいですか?

昔の私は、マラソンとかやっていても、皆がいるから、自分の位置がわからなかった。

どこにいて良いのかわからないし、人の足に引っ掛かって、転んだりするのが嫌だった。

鈍くさいから、気を付けかたがわからなくて、マラソンで勝つことを考えるか、走り抜くことを考えるかよりも、自分がどこのポジションで走るかを考えることに苦戦していた。

皆早いし、人のことなんか気にしないから、私は、それがとても嫌で、ハシッコの方とか、一番後ろとか、走ってた。

クラスのお荷物にはなりたくないから、一番遅い人よりは上に行こうとか、そういうことを考えていて、走っていました。

とにかくマラソンが大嫌いでした。

クラスリレーとかも嫌い、波にに乗ることが出来ない。

タイミングがわからないとか、どうのって良いかわからない、弾かれてしまう、勇気がないとか。

私は、バンドとか乗りたいタイプなのに、乗ることが出来ないタイプの人間だったから、ノリがよくなかったと思います。

だから、ノリが悪い人でも出来るような工夫はしていると思うのだけど。

シーレーンの場合は、ノリとかよりも、勢いの方が強いのかも。

だから、その勢いに圧倒されてしまうとか、あるとおもいます。

早いから置いていかれるとかもあると思うし。

でも、今回は、一応布石が残されると思うから、ゆっくりゆっくりでも良いと思います。

後ろからマグマが来る訳でもない。

皆は出来て、自分だけ出来ないとか、遅いとかあると思うけど、布石を辿れば、いつかはゴール。待っていない人がいても、その方が楽だよ。

だって、自分だけやれば良いからね。

先に乗っている人に任せるとかしちゃえば、もう、後は、ゆっくりで良いから、楽だと思います。

入ることが出来なきなくても、遅くなっても平気。

私はどちらかと言うと、観客なら、後ろから応援をしているか、少し便乗するくらいなの。

やりたいときは前に出るけど、殆どない。でしゃばりはあまりしない。

鈍くさくても別に平気。ノロマでも平気だろう。多分ね。ダメなら、工夫をすれば良い。

それからね、奴隷制というのがあったときは、奴隷船に乗せられた、黒人が三ヶ月かけて運ばれたときに、死んだ人が沢山いて、その死体は産みに落とされたのだそうです。

その数を知っているのはエサを待つ鮫くらい?だったらしい。

嫌だけど、歴史上にはそういうこともあった。

歴史の延長を破壊するようなことをしてしまったなら、その死んでしまった人たちに申し訳がないと思う。

気を付けないといけないとおもいます。

あの奴隷の時とは酷くはないよ。あれは、肉体的精神的、両方の苦痛だっただろう。

でも、私も両方の苦痛はあったよ。

なぜ、比べるの?

もう時代が違う。歴史に学ぶことの意味が違う。

私が学べと言うのは、全体の流れだろう。

そこから何を現代に見いだすかでしょう。

見た目だけが全てではないよ。

自分のやったことは小さく捉えて、やられたことは、大きく捉えるのが、被害者意識の特徴だと思う。

どちらも同じだろう。

先に手を出した方が、敗けなんだよ。

子供の頃に、親に言われた一言で、ずっと耳に残る言葉って、あるよね。

その言葉はずっと忘れない!と思うでしょ。

ところが、親は覚えていないなんてことあるよね。

自分のやられたことは大きく捉える、やったことは小さく捉える。

親にはきっと、やり返すこともあっただろう。

それを忘れているんじゃないのかなと思う。