当たり前にあるものと言うのは、失いたくありません。

だっていつもと同じ、当たり前があると、安心するから。


私は、いつもと同じ、当たり前を持つことがあまり好きではありません。

執着することが好きではない、の意味かな。

執着すると、手放せなくなるから。

あなたの当たり前に何人の人が入っていますか。

私のあまり前には、そんなに数がいませんが、みんな、というカテゴリーには、数多くの人が入っています。

きっと、あなたも同じでしょう。

家族に対する当たり前と、私に対する当たり前は違うだろう。

携帯電話を持っていることが今では当たり前です。

私は昔から、携帯電話がないと不安なことが嫌でした。

だから自分で折ったりしていました。

でも、結局ダメです。

不便だからです。

でも、昔は携帯電話なんか無かったんだよ。

会いたくても今すぐには会えないとか、連絡も取ることができないとか、当たり前だったんだよ。

それなのに、私はないと不安なことが、不思議で、自分のひ弱なところを考えると嫌になりました。

何か置いていきぼりにされるような気さえしました。

みんな持っていないことが当たり前だから、平気だったのか、それとも、心が安定しているからなのか。

あの時代なら、こそこそと、戦争の方向に持っていこうとか、わかるよ。

それでも、人はどんな気持ちだったのかな。
強く生きていたのかな。

みんな悲しいから、平気だったのかな。

今の時代は恵まれているよ。

当たり前が私たちを守ってくれる。

でも当たり前は、自分を弱くすると思いました。

人はね、絶望に叩き落とすと、変わらなければいけないから、変わります。

変わらないとダメだから。

変わらなくてもいいなにかがあると、変わりません。

本来なら自分から自分で変わろうと思うようにしたかったけど、変わらざる追えない状況になってしまった。

絶望の縁が、私にはまだ見えていなかったのだと思います。

もしも見えていたのなら、もう少しうまくやることができたのになぁと思うことはよくありました。

当たり前というのは、失いたくないです。

失いたくないと思うものは、自分を弱くさせる気さえします。

でも、絶対に守ると心に誓ったのなら、強くなれるような気さえします。

守れなかったときに、どんな痛みがあるのかわかりません。

私は守りたいから強くなろうと決めました。

奪うと強くなるなんて、守りたい気持ちを利用して、無理矢理やらせる、精神的苦痛でしょ。そんな意識のままいるのに、慰謝料も払いたくないなんて、おかしいよ。

無理矢理やらされるのって、誰もが嫌いだよ。

やらなければならないから自分で考えてやる、は、無理矢理ではないけど、やらざるおえないからやらなければならないと、少し、意味が違う。

絶対にやったらいけないやつだよ。

スターリンは、死の恐怖を感じて無理矢理やらなければならないようにしたことがあったらしい。多分。

でも、それは、背中に銃を向けるとか、そういうもので、こんな形ではない。

誰もわからないように、精神攻撃をした。

全く種類が違う。

日本人は、もしも、同じようなことがあったら、どうするのかな。

自分はもう死にたいから、殺してくれと言うのかな。

当たり前がある奇跡を蔑ろにしておきながら、いざとなったら、もういらない、は、無いよね。

携帯電話も、家族も。

大切で、守りたいものがあったから、出来たのだろうか。

出来ないのは、大切で、守りたいものがなにもないからなんだろうか。

心というのは、それくらい、言動が変わるものなのだと思いました。