ダイヤモンドの歴史と大プリニウス | Gambler Ayumiのブログ

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ダイヤモンドの歴史とダイヤモンドに関わった偉人達についてから!

宝石の王様👑ダイヤモンド】

ダイヤモンドの歴史は紀元前に遡ります。
ダイヤモンドは紀元前4世紀頃から現在のインドで取引がなされていたと(あくまでも推定ですが)伝えられています。

🤔紀元前4世紀っていつだ!?
今から2300年前〜2400年ほど前ですね!日本は弥生時代の早期で縄文人と弥生人が混血されて、今の日本人になっていく時代です。歴史の授業の序盤の序盤で習った時代だったような🧐

当時ダイヤモンドはインドの田舎の河川から採集されていたそうです。河川から採っていたという事はつまり二次鉱床のダイヤモンドですね。一次鉱床と二次鉱床についてはこちら→ダイヤモンド一次鉱床と二次鉱床

紀元前のインドではダイヤモンドの圧倒的な硬さと、他にはない希少性から神秘的なものとされ、限られた富裕層にしか手にできない宝石でした。
この時既にインドではカースト制度が存在していたため、ダイヤモンドを持つという事は宝石としてではなく、カースト上位の人たちの権力の象徴だったのでしょうか。バラモンとかクシャトリヤの階層の限られた人たちが所有していたのかなー🤔
バラモンとかクシャトリヤとか確か中学の時のテストに出たよね😂記憶喪失気味な私だけど意外と思い出せるものだな〜笑
理由はともかく2000年以上前からダイヤモンドを持つという事は特別な事だったのですね✨

しかしここまでのインダス文明時代の話はあくまでも仮説的なもので、ダイヤモンドの詳細が文献として残っている最古の物は紀元77年の「プリニウスの博物誌」です。

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス
(大プリニウスと呼ばれている)

古代ローマの博物学者で、このプリニウスの博物誌の中でダイヤモンドは「アダマス(adamas)」硬く切断することが不可能、この世のあらゆる物の中で最も価値がある。と記されています。
大プリニウスは胡瓜の種ほどのダイヤモンドも貴重なものとしていました。しかしダイヤモンドは硬く加工が難しく、当時はルビー・エメラルド・真珠の方が宝石として認められていました。
大プリニウスがダイヤモンドは貴重なものとしていた理由は、宝石としてではなく、硬い鉱物として実用性が高いという意味での記述だった様です。

大プリニウスは博物誌を102巻2万項目完成させたと言われていますが、残念ながら現存するものは37巻のみです。何処かから引用した項目もあるだろうけれど、約2000年前の人が博物誌を作るなんて超人でないと到底出来ない、、、そして新しいことを成し遂げ、歴史を作る事は凄い事ですよね!

話はダイヤモンドから脱線しますが、大プリニウスが生きた古代ローマ時代といえば漫画と映画で有名な『テルマエ・ロマエ』の時代!テルマエ・ロマエを見ると温泉大好きの私は温泉に行きたくなり、そして生粋の平たい顔族なので濃い顔のローマ人が羨ましくなります♨🥺

テルマエ・ロマエの著者、ヤマザキマリ先生のエッセイに大プリニウスは「ミツバチ好き」だった🐝という興味深い記事がありました。

私もハチミツ(HACHIBEIハチミツ)大好きです🥰
思わぬところで大プリニウスとの共通点を発見💞
大プリニウスは博物誌の中でミツバチを「最高の創造物」と記し、ミツバチについては何処かからの引用ではなく、大プリニウス自身が直接観察を重ねた形跡があるそうです。

《六角形の小部屋はハチが6本脚の1本だけを巧みに動かして形成すると記録している。1本脚でせっせと作られた小部屋のひとつひとつは1日ないし2日掛けて蜜で満たされるという記述など、まさに自らじっと蜂蜜の巣に目を凝らしているプリニウスの集中力と息遣いが生々しく感じられるような描写だ。》
↑ヤマザキマリ先生のエッセイより引用

過去も現在も「蜂蜜の歴史は人類の歴史」と言えミツバチは人間が生きる上で無くてはならない存在ですね。こんな時代だからこそサスティナブルでロハスな生活をしていきたいものです!

さて本題のダイヤモンドが宝石の王様として特別なものとなり、宝石としての歴史が動き始めたのはいつ頃なのか!?🧐

更に歴史を紐解く必要があります📝
それではまた次回👋