農村の本当の役割とは
農村の未来を展望する前に、私たちは都市の不安に目を向ける必要がある。
令和の米騒動の問題を振り返ると、はじめは米不足だったわけだが、もう一つの問題は、この1年以上に渡って長引いたことである。
米問題の長期化がもたらしたものは、効率ばかり優先してきた市場流通システムの脆弱さ。
ひとたび需給バランスが崩れると、パニック消費が起こり、価格が暴騰し、メディアはそれを拡大し、
ますますパンデミックは増幅する。もはや、どこが始まりかわからないパニックである。
都市一極集中を前提とした市場流通システムは、通常運転のときは、経済的で合理的で効率的なのだが、何か事が起きるとたちまち渋滞や混乱が起こり、すぐには立ち直れないことが浮き彫りになった。(レジリエントの対局)
こうした都市の不安定さを踏まえた上で、農村を振り返るべきである。
作る人と食べる人という人間同士の関係が分断され、農村の存亡は米の商品価値に翻弄されてきた。
いま求められているのは、人間不在の経済ではない。
人と人とのつながりを取り戻す仕組みとして、農村をとらえ直すことである。
農村は、消費地へ農産物を供給するだけの場ではない。
地域固有の伝統、文化、知恵を継承し、人が暮らしてきた故郷であり、
外からの人々に学びや気づき、安らぎを与える「ホーム」でもある。
農村に「ないもの」を数えるのではなく「あるもの」を再発見しなければならない。
その視座を得るために必要なのが交流である。
交流の意義を3つの視点から考えたい。教育、社会、環境である。
まずは教育的な交流。
田や畑に来て、見て触れて体験し、「食べものはこういうところでできるのか」と実感すれば、
感謝や敬意はおのずと育まれる。
第二は社会的なつながり。
農村における共同作業は単なる労働ではない。
秋の実りはみんなの共通目標で、それが地域への誇りを形成してきた。
第三は自然との付き合い方である。
厳しい環境とも折り合いをつけ、災いを恵みに転じてきた農村の伝統知は、レジリエンス(復旧、回復する力)の宝庫である。
農村をベースに、人と人が共に汗をかき、ぬくもりある関係を結び直す人間らしい交流は、
農村ににぎわいをもたらすと同時に、都市の不安をも解消に導く。
そしてそれこそが、日本らしさの復興につながる。
毎年恒例、日本農業新聞。2026年1月1日号に書きました。
今年よみコラム
大幅に加筆・訂正して、載せました。
べジアナ
