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5/20、赤坂見附にある「東京農村ビル」で毎月開かれている「東京農サロン」に参加してきました。

来月、6月で8周年を迎える2018年にスタートした勉強会です。

本日のスピーカーは、

目黒区の農家、右から「八雲のはたけ」の宇津山裕和さんと、「根岸ぶどう園」 の根岸幸司さん。

左は、コーディネーターで司会役の(株)農天気の小野淳さん。

 

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テーマは、

地価と伝統の間で、目黒の農家を受け継ぐ継承者の挑戦!

 

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東京23区の中でも高級住宅地の目黒区、人口は28万人。

区内には現在12軒の農家がいて、およそ1.9ha(18830㎡)の農地で農業を続けています。

 

宇津山さんは、2013年にサラリーマンをやめて、家業である造園業・不動産業に転職しました。

母方の栗山家は江戸時代から代々続く栗山農園。

農業部門は主に父の担当で、少量多品目の野菜をつくり、年に1、2回は学校給食に提供したり、

子ども達のジャガイモ掘り体験を受け入れるなど、地域とのつながりも大事にしています。

野菜畑とは別に植木専用の畑もありました。

かつては盛んだった庭木の販売ですが需要が低迷し、植木畑は休眠状態になっていました。

その畑をどうにか生かしたいと考え、貸し農園を思いつき、マイファームに管理を委託し、

2018年から「八雲のはたけ」という名前の体験農園を始めました。

また月に2回マルシェを開催するなど、「都会の中の里山」をコンセプトに、

近隣の人たちが農をたのしみ、はぐくむ場としてのはたけを営んでいます。

 

宇津山さんの仕事は、造園業と貸し農園の経営で、自ら土を耕したり、栽培するわけではないので、

「農家」と名乗ることに引け目というのか、気遅れてしていたそうですが、

植木や造園業も農業の一部だと知り、今では目黒の農家と名乗っているそうです。

 

代々続く栗山家は名家で、近隣には栗山姓が多く、栗山家所有の農地が多いそうです。

(地方の田舎のむらへ行くとみんな同じ名字というのはよくありますが、この大都会でいまだにそういうエリアがあるってすごいですね)。

 

目黒で農業を継承していく思いについて宇津山さんは最後にこうしめくくりました。

 

なぜ農地を残しているのか?

代々受け継いで来た土地を残したいという想いから。

特に祖母の意思が強かったそうで、いま所有者となっている母も同じ意志を受け継いでいるそうです。

 

しかし、目黒区の土地評価額を考えると、農地として維持するにはワザや知恵が必要です。

都市の市街地の農地は「生産緑地」として税制優遇があるものの、相続の時には農地だけでなく資産全体の相続が発生するので、一般に都市部の農家では、相続のたびに農地が半減する現象が起きています。

 

●どうやって残しているのか?

税率優遇を受けられる農地の形を維持することや、農業以外の収益を上げるといった話から、

様々なウルトラC級の相続税対策の話もあり、

そもそも「生産緑地法」の定義は今のままでいいのかという問いかけもありました。

 

生産緑地はあくまで「生産のための緑地」のため、建物を建ててはいけないなど使い方が限定されていましたが、2017年から、直売所や農家レストラン、体験農園の施設、加工場などに限り、建ててもよいと法律が緩和されました。

生産だけでなく、販売まで農家が担うことを「六次産業化」といいますが、そういう出口戦略までできれば、都市にあることを活かした農地の活用の幅が広がりそうです。

 

 

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続いて、もうひとりの目黒の若手農家「根岸ぶどう園」 の根岸幸司さん。

 

「目黒発、次世代農業へ~経験ゼロからはじめたDIYスマート農業の6年間」と題して

根岸さんはサラリーマンから農業を継いで6年。

面積18aでぶどう農園を営んでいます。

実家がぶどう栽培をしていたと言っても子どもの頃に遊んだぐらいで何の知識も経験もなかったので、

とにかく「記録を取ろう」と思ったそうです。

栽培の課程で問題が出たときに振り返りができないと、同じ失敗を繰り返すからと考えた。

また東京都のGAP認証を取得している。書類仕事は多いが、自分の仕事を客観視できることはメリットだそう。

スマート農業というと、一般的には大規模な農場を無人で管理する大がかりなICT技術を浮かべがちですが、

根岸さんのはだいぶ意味合いが違います。

小さな面積に、高額なロボットを導入するわけにもいかず、

「マイコン」という2~3万円の小さな機器を買って、

ぶどうハウスの温度、湿度、照度を計測するシステムを自力で繋いだDIYのスマート農業という話でした。

お金をかけずに、栽培管理のデータをきっちり記録・管理する。(わたしがIT弱者なのであまり正確に書けませんが)

ともかく、今の若い人はちがうなと思った!

 

そして、狭い面積で収益をあげるためなんとフィンガーライムの栽培を始めたそう。

フィンガーライム、ご存知ですか?

小指ほどの小さな柑橘で、中の果肉がプチプチしたトビッコだっけ、トンブリだっけなんか、押すとムニュムニュと出て来ておもしろい変わり種のライムです。オーストラリア原産。

 

以下は、参考までに以前取材したときの写真

 

シドニーのレストランをはじめ、世界中の星付きレストランで2000年頃から注目されはじめたフィンガーライム。

アボリジニが伝統的に利用してきたことからブッシュフード (bushfood) と呼ばれ、料理に取り入れられています。

 

2017年にイベントで取材したとき記事。

プチプチはじける森のキャビア!フィンガーライムとオージーラム ベジアナの農ライフ研究所 Blog 

 

 

まだ国内の生産は少なくましてや東京はほんとんどなく、高級食材ですが、都内には高級レストランは多いので、

ほかの産地よりも優位であり、東京産!しかも目黒産フィンガーライムを作りたいとのこと。

ただ、他の柑橘とはまったく別物で、栽培管理の応用がしにくく、いま3年目だそうですが難しい部分もあるとのこと。

そのためのデータ管理なんですね。

根岸さんのプレゼンのまとめ

●農業未経験からのスタート。問題を記録したいという切実な動機がDIYスマート農業の原点

●ハウス環境をモニタリングする+自動で潅水する+AIで振り返り→一人でも農園を守れる仕組みを構築。

●小規模農家に必要なのは「高機能・高価格」ではなく、低価格でハードルを下げるIOT

●東京都のGAP取得、フィンガーライム栽培など、持続可能で付加価値の高い農業

「農業をバージョンアップし、都市と農業の新しい関係をこの代で築く」

 

ともかく、今の若い人はちがうなと思った!(その2)

お2人に共通していたのは、ご自分の農業経営をプレゼンするにあたり、

AIと相談しながら資料を作るのは当たり前なんだなと思った。

AIが言語化した表現の中から、さらに自分の思いやビジョン、自分の言葉と照らし合わせて「自分のものにしている」というのがわたしの抱いた感想だ。

 

 

それはそうと、発表後の懇親会で根岸さんに聞いてみた。

スマート農業の補助金なら、国も積極的に出すと思うのだけど、

補助金に頼らずに自力でデータ管理システムを作ったのはなぜ?

 

実はこの日の東京農サロンには、府中市の有名なトマト農家さわとまとの澤井さんも参加されていて、お話を伺った。

野菜ソムリエが決めるトマトの最高金賞とその次の銀賞と、上位2賞を独占受賞し、さらに4年連続金賞受賞というコンテストあらしと呼ばれているトマト名人です。

澤井さんによると、高額なスマート農業機械でも半分は東京都から、4分の1は府中市から補助金があるため、自分で出すのは残りの4分の1だという。消費税は別らしいですが。

そういう話は、農水省の支援でもよく聞くので、補助金使えばいいのでは~と思ってしまったわたしはつい質問してみたのでした。

すると、なんと目黒区には農業委員会がなく、そういう申請をする仕組みも窓口もないとのことでした。

えええーーー@@@

確かにまあ28万人の人口に対して農家戸数は12戸とうことは2万分の1。天文学的に圧倒的なマイナー職業だからフォローする仕組みも手薄くなるわけだが、ともかくそういうことらしかった。

でも、改めて考えると、自分でシステム作る農家ってかっこいいですよね。

新しい知恵とか工夫とか、個性、オリジナルな存在意義は、そういう環境(与えられない環境)から生まれるのだろう。

 

根岸さんが最後に語った言葉は、

 

「せめて自分の代まではこの畑を守りたい」 by根岸幸司

 

 

目黒区の農業を継承する若き二人が二人とも口をそろえて、農地を守りたいと言ったことに、

なにかじわ~っと胸を熱くするものがあった。

人はお金のために生きているのではない。

守りたいものがあるから生きているというふうにも思えた。

富とは何かと考えたとき、農地、土地の持つ意味は大きい。

それをお金に変えて何億、何十億を手に入れることよりも、受け継いだ土地を手放さずに活かして自分も生きることに意味を見出しているのだろう。

農家のプライドというか、人として生きる誇りというのだろうか。難しいからまた今度~。

 

 

 

目黒区の農地について調べていたら、おもしろい写真がでてきたので添付します。

資料:目黒区いきものみどりみらい計画・私たちのまちめぐろ:meguroku_ikimonomidorimirai_2shou.pdf

 

資料:目黒区いきものみどりみらい計画・私たちのまちめぐろ:meguroku_ikimonomidorimirai_2shou.pdf

目黒区「わたしたちのまち、めぐろ」より

 

江戸時代には江戸への野菜供給地として発展し、大根やナスなどを出荷していました。

大鳥神社、目黒不動尊、高幢寺金毘羅権現社の目黒三社は「目黒詣」として庶民の行楽地となり、

駒場野は将軍の鷹狩り場として知られていました。 

明治以降も「目黒のタケノコ」をはじめとする野菜栽培が盛んで、季節ごとの輪作が行われ ていましたが、主に住宅地の開発などにより農業は衰退しました。 

明治4(1871)年に東京府管轄となり、明治22(1889)年に目黒六か村が目黒村・碑衾村 に統合されました。大正初期から昭和初期にかけて耕地整理が実施され、実質的な区画整 理・道路整備が進みました。 大正 12(1923)年の関東大震災を機に東京市周辺への人口流入が加速し、目蒲線・東横 線の整備とともに農地の宅地化が進行しました。その後、昭和7(1932)年に両村が合併して 東京市目黒区となり、昭和18(1943)年に東京都目黒区が誕生しました。

資料:目黒区いきものみどりみらい計画・私たちのまちめぐろ:meguroku_ikimonomidorimirai_2shou.pdf


 

 

以上、「東京農サロン」で目黒区で地価と闘いながらそれでも農業を継承する若い都市農家、宇津山さんと、根岸さんを紹介しました。

うちから結構近いのでちゃんと訪ねてみたいと思いました。

 

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東京農村オーナー中村農園さんのいちご!

名残のいとごとはいえ、甘くておいしかったー。

 

赤坂にある東京農村ビル。

4階のシェアオフィスで毎月第3水曜に「東京農サロン」の勉強会は開かれています。

完全紹介制。

興味ある方はお声をおかけください。

東京農業のすべてが詰まっている!と言っても過言ではない勉強会です。

来月6月に8周年を迎えます。

 

 

べジアナあゆみ