ブログ307回目

 

 

集中豪雨の復旧作業が続く中

毎日、毎日、雨が続きます。

少しずつでも復旧が進みますように・・・

 

 

 

 

鹿児島県も、まだまだ復旧が進まず、ひどい状況です。

人手が足りず大変な思いをされています。

全国版のメディアで取り上げられない地域は、埋もれてしまいます。

想像を絶する被害だそうです。

 

地元のボランティアさんを大募集されています。

「1時間でもいいのでお手伝いお願いします!」

が心に響きます。

https://twitter.com/MASA84676292

 

 

 

 

 

 

鹿児島県で大学生活を送っている長男もボランティアとして

お手伝いさせてもらっています。

貴重な体験です。

 

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200713/5050011163.html

 

 

 

 

 

 

 

 

さて父の話の続き・・・・

 

 

 

 

家族全員に見守られ

静かに旅立っていった父。

 

 

 

 

私は生きている人が息を引き取るまでの状態を初めて体験した。

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと、『あ~、もう死ぬんだ。』

       『もう、終わりなんだ。』という気持ちで見ていた。

父も同じ気持ちだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

~死ぬ前の兆候~

 

私がお風呂に入る前に父の瞳孔が明らかに開いていたのは死ぬ前の兆候だった。

その後に兄が父の異変に気付いたのは

手先が冷たくなってきたこと。

何時間前までは38度の熱をだすまで体は熱かったのに指先から冷たくなった。

そして、脈拍が遅くなったこと。

 

 

 

 

この3つは死ぬ間際におこったこと。

昨日、大きな声で電話で話ていたのに・・・・

昨日、喜んで退院して家に帰ってきたのに・・・

翌日には亡くなってしまった。

 

 

 

 

父が死んだ・・・・

もう、動かない・・・・

 

 

私にとって大きな山が動いたような錯覚になった。

 

 

本当にあっけない、潔い死に際だった。

 

 

 

 

 

 

しばらくボーっとして脱力感と非現実感と哀しみが交じった不思議な気持ち。

 

 

 

 

 

しかし、そんなことに浸っている暇がなかった。

亡くなった後にすることが、怒涛のようにある。

 

 

 

 

 

まずは主治医とケアマネージャーさんに連絡をする。

お二人とも、「こんなに早く亡くなられるとは・・。」と絶句されていた。

 

 

 

 

 

 

主治医が来てくださり父の脈や瞳孔などを診て

臨終を伝えられた。

すぐに、戻って死亡診断書を書いてくださった。

 

 

 

 

 

 

ケアマネージャーさん看護師さんも、きて下さり今までのこと、これからのことを説明して下さった。

 

 

 

 

 

その中で看護師さんの言葉。

「お父さんは自分で寿命を全うするときを決められたと思います。

残された家族が苦しまないよう、迷惑をかけないよう旅立たれたのだと思います。」

 

 

 

 

 

自分が死ぬ瞬間を自分で決めた。

すごいことだと思った。

 

 

 

 

 

・自宅に帰りたかった想い。

・家族に看取られたい想い。

・母に介護で、しんどい思いをさせたくない想い。

・私が帰ってくるまで待っていたい想い。

・何も思い残すことはない。

 

 

それらが叶った瞬間に命の火が消える。

 

 

 

 

 

そんな想いが叶ったので

死んでからの父の死に顔は和んでいた。

あんなにヘルペスで足の痛みで苦痛していたり

呼吸が浅くツラそうだった顔から

 

 

 

 

まん丸い、おつき様のように和やかな顔をしていた。

時間が経てば経つほど

その顔は、いい顔に見えた。

私はず~っと見ていてもあきない赤ちゃんのような顔だと思った。

本気で写真に撮っておきたいくらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

そして葬儀屋さんと連絡をして葬儀の日程を決めた。

父は生前、自分の葬儀にお金をかけてほしくない!

「死に仏より、生き仏や!死んだら骨を川にまいて終わりで良い。」

という無宗教、無信心な人だったので

身内だけの家族葬にした。

(こんな水が綺麗な川で悠々としたかったと思う.)

 

 

 

 

 

亡くなって4時間後くらいに葬儀屋さんが来てくださり

父をベッドから仏間に移動し

パジャマから浴衣に着替えさせてくれた。

私は映画の【送り人】のシーンをイメージしたが

手際よく着替え終え祭壇の準備をする。

 

 

 

 

そして告別式を5月13日になった。

父といれるのは2日間だけだった。

 

 

 

 

そんなバタバタした中で

兄が慣れない死亡届けの書類を記入する。

「やってもうた~!!」と頭をかかえる。

死亡者の名前に兄自身の名前を書いてしまうハプニングあせる

 

 

 

 

 

家族全員で爆笑になってしまい爆  笑

兄は、いっぱいツッコまれ

深夜テンションで、愉快な空気になっていた。

 

 

 

 

 

私たちは哀しみばかりではなく

冗談を言ったり、バカを言ったりして、明るくこなしていた。

それは、やっぱり父の死に顔が、晴れやかで和んでいることが大きい。

 

 

 

 

そのことに救われているな~と思うことは

後々もずっと続く。

 

 

 

 

そして長い長い夜が終わる。

眠りについたのが朝の5時ころだった。

 

 

 

 

 

 

続きは次回に・・・・・

いつも、最後まで読んで下さってありがとうございますドキドキ