ブログ305回目

今日の笑いは・・・・

 

 

今日の横浜は梅雨の晴れ間で

天気が良く熱い1日晴れ

 

 

 

2020年5月8日(金)

父が待ちに待った退院の日虹

 

 

 

 

 

 

そして私たち家族、自宅看護が再スタートする日。

この日を迎えるまで母、兄、弟、私の4人でものすごく話し合った。

ケアマネさん、ケアワーカーさんに聞きながら

父をどこで看取るのが最善なのか?

 

 

 

 

 

場所は3つに絞られた。

①自宅看護(父が1番、望んでいる場所)

②緩和ケア病棟(有料、無料と幅広くある。満床が多いが高額なところは入所できる可能性も)

③自宅近くの病院(医療目的が建前だが肺炎治療目的で入院できる可能性もあり)

 

 

 

 

 

 

4人とも自宅看護が父のために最善なことは承知しているが

看護する者の負担が計り知れない。

終りがわからない自宅看護。どこまでやれるかわからない。

コロナ禍の今、自宅看護以外は父と面会はできない。

退院する日が家族と父の最後かもしれない。

 

 

 

 

 

 

話し合った結果。

自宅看護をして看護に限界がきたら緩和ケアに入所してもらう。

という方向にした。

 

 

 

 

 

 

 

自宅看護といっても

今までとの自宅看護と違うところは

父の容態が、かなり悪化していて弱っていること。

母1人の看護から子供3人を含めて4人での看護。

自宅に看護師さん、ヘルパーさん、お医者さんに来てもらう。

(この医療従事者が家に来てくれることは大きな安心材料だった)

 

 

 

 

 

 

何より1番の負担は

夜の看護だ。

夜の父のトイレへの付き添いと痛み止めの服用。

それ以外の父からの要望を聞くこと。

夜の看護は想像以上に大変だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

本来なら喜ばしい退院だが

嬉しい反面、不安も大きい。

そんな思いで父の退院の日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

このときの父は血液中の酸素濃度が低く80%台だったので

在宅酸素療法をしていた。

入院前の診察時も酸素ボンベを転がしながら医療センターに行った。

付き添った私も酸素ボンベの扱い方法などをレクチャーしていた。

まさに今の父には命の綱酸素ボンベ

 

 

 

 

 

退院の日は弟が仕事を休んで愛知県から、かけつけた。

母が退院の手続きをして看護師さんから話を聞いて

父を車に乗せて命綱の酸素ボンベを吸入させながら自宅に戻ってきた車

 

 

 

 

 

看護師さんからは酸素濃度は90%台まで戻った。

食事も入院して3日目までは7割くらい食べていたが

少しずつ食べる量も減り、今は、ほとんど食べれなくなっている状態ショボーン

と聞いた。

 

 

 

 

 

しかし思ったより元気そうに病院をでた。

 

 

 

ただ、車中の父はだんだんと顔色が悪くなりツラそうに・・・・

待ちに待った家なのに

体もツラそうだった。

 

 

 

 

 

 

とにかく家に連れて帰り

いつもの部屋のいつものベッドに寝かせた。

そして自宅に備えつけてある酸素吸入機で酸素を送った。

 

 

 

 

そして後から自宅に来た兄が発見して驚いたこと!

退院時に酸素吸入をしていたボンベが

まさかの空っぽ!びっくりびっくりびっくり

 

 

 

 

 

父は空のボンベから一生懸命、酸素を吸っていたゲッソリゲッソリゲッソリ

 

 

 

 

 

弟くんよ~

それはアカンやつやん。

せっかく退院した、その日に酸素不足で死んじゃうかもゲッソリじゃん!

命の綱の酸素ボンベが空って!!

弟は3兄弟の中で1番しっかりしている。

その上、親孝行で頼りにされている。

 

 

 

 

そんな、あなたが殺人未遂になってたかもよ~ゲッソリ

 

 

 

 

 

今となっては笑い話だが

父も退院手続き中、帰りの道中、少ない酸素で頑張っていたんだ!

ものすごいトレーニングだったと思う筋肉

(なんのトレーニング?)

 

 

 

 

 

 

自宅に戻りホッとしたのと

酸素が充分にいきわたり

父の顔色も良くなり喋れるようになった。

良かった、良かったニコニコ

 

 

 

 

 

 

そして食欲がなかった父は、その夜

「天ぷらが食べたい。」キラキラと言った。

 

 

 

 

 

 

久しぶりの父からの食のリクエストキラキラ

母は喜び、大急ぎで天ぷらの材料を買いにいき

父の様子をうかいながら天ぷらをつくった。

 

 

 

 

 

このときの父は大好きな映画を見ることも無く本も読まず

眠っている時間が多かった。

大急ぎでつくった、天ぷらだったが眠っていたため起こさなかった。

目を覚ましたときに揚げたてを食べさせてあげよう!と材料を少し残して・・・・。

 

 

 

 

 

しかし、父は母の天ぷらを食べることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

天ぷら

 

 

母のお得意料理。

父が最後に食べたかった料理。

”最後の晩餐”っていうけど・・・・

父のとって”最後の晩餐”は

天ぷらだったんだ。

 

 

 

 

 

 

海老の天ぷらを、そんなに好まなかった父。

玉ねぎの天ぷらを食べたかったのかもしれない。

今となってはわからない。

ただ、一口でも食べさせてあげられなかったことが心残り。

今後、私は天ぷらを食べるたびに、父を思い出すと思う。

 

 

 

 

 

 

その夜、父と一緒に母が付き添って寝た。

昼間は良く眠っていたが夜は良く起きる。

この夜はトイレに5回付き添った。

睡眠薬、鎮痛剤などを服用しているが

目が覚めるとトイレに行きたくなるようだ。

食事もウイダーインゼリーとマンゴーを2口のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜中のトイレ5回付き添いに母は疲れきってしまう。

退院して、たった1日なのに気持ちがしんどいと思う。

体もそうだけど、こんな夜が毎日?・・・・

不安になり、自信がなくなる。

自宅看護再スタート1日目からすでに・・・ゲッソリ

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅でつきそっている弟から

母がダウンしそうで心配

メンタルと体力が・・・・

とSOSがあった。

 

 

 

 

 

そして3兄弟で調整して

夜の父の付き添う担当を決めた。

5月9日~11日までは弟

5月12日~15日までは私

16日~兄

それ以降は弟が有給をとって父の夜を担当。

兄と私もできるだけ実家にいて父の夜を担当。

 

 

 

 

 

 

母は高血圧や不安症なので夜担当から外す。

 

 

 

 

 

 

そんな計画を兄弟で立てながら

夜の付き添うことに限界がきたら緩和ケアに入所してもらわざるを得ない。

せっかく退院できて喜んでいる父にとって本当にツライ選択。

 

 

 

 

自宅看護の理想と現実

誰を優先するのか・何を優先するのか


 

 

やっぱり、コレにいきつく・・・・・

 

 

 

 

 

2020年5月9日(土)

退院した翌日に訪問診療をお願いしたお医者さんに診てもらう。

本当は地元のかかりつけ医で診てもらっていた年配医師に診てもらいたかったが

訪問診療をされていなかったので

急遽、地元で訪問診療をされている先生に診てもらう。

父を初めて診察される若い先生。

この先生の見立てがすごく良かった。

 

 

 

 

 

自宅で診察して頂いた先生から

驚きの言葉が

「退院された昨日に診察させてもらっていれば良かったが

症状はかなり進んでいます。

土曜日、日曜日に会わせたい人を呼んであげてください。

これからは状態が変われば、すぐに私を呼んでください。

呼吸が乱れる、高熱がでる、体温が下がる、、血圧が下がる、意識が朦朧とする・・・・。」

と言われた。

 

 

 

 

 

土曜日、日曜日に会わせたい人・・・・

死期がすぐそこ?

今日、土曜日だけど今日、明日に死ぬの?

来週の土曜日?日曜日に死ぬの?どっち?

こんなに元気そうなのに?

 

 

弟が送ってきた退院した日にピースチョキをしている父の写メ。

 

 

 

 

 

 

 

わかったことは父はそんなに長くないってこと。

 

 

 

 

会わせたい人って言われても・・・・

コロナ禍の中、会えないと思う。

 

 

 

 

 

とりあえず父のお兄さんに電話をかけた。

高齢のお兄さんは耳が遠くなり

肺活量が小さくなっている父が、普通に話ても声が届かない。

父が頑張って大きな声を出し

何度も何度も自分の名前を叫んでいたそうだ。

こんなに普通に話をすることができるのに死ぬの?

 

 

 

 

 

 

 

そして体力を使った父は眠りについた。

この日の夜は弟が父と一緒に寝た。

眠りは浅く、目が合ったり

尿取り3回、痛み止め1回服用させたそうだ。

 

 

 

 

 

 

そして私に

「死期が近いかもしれないので意識がはっきりしているうちに早めに実家にきたほうがいい。

思っていた以上に夜の付き添いがキツイ。」と言った。

 

 

 

 

 

ここまでは実家にいた母、兄、弟から聞いた父の様子。

 

ここからは私が実家に行って感じた父の様子。

 

 

 

 

私は12日(月)から実家に行く予定だったが

土曜日、日曜日に会わせたい人が・・・・

の言葉が頭から離れず

急遽10日の朝一に新幹線新幹線で京都にむかった。

前のときのようなコロナ禍での他府県の移動に対しての躊躇は全くなかった。

父の最期の看護になるかもしれない・・・という想い。

夫や子供に喪服の用意をお願いして

私も喪服を持って新幹線新幹線に乗った。

 

 

 

 

 

 

 

~最期の看護~

私は今夜から父の看護部屋で父と寝る。

兄弟で決めた順番。

今夜から父のめんどうを見るのは私。

 

 

 

 

 

 

 

私の気持ちは、率直に

怖いだった。

 

 

 

夜の尿取りや、眠れないことのツラさより

弱っていく父と対峙することが怖いのだ。

死んでいく人と同じ部屋で寝ることが怖い。

弱っていく人が怖い。

死んだ人と同じ部屋にいることが怖い。

 

 

 

 

私は父が大好きだが

死んでいくこと、死んだ人が、めちゃくちゃ怖い。

深い、濃い夜、怖い。

理由はわからないけど怖い。

ただの病気のときに、付き添って寝た夜とは全く違う怖さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて身内の死を経験した18歳。

死んだ人、死んだ体への恐怖。

死んだ人の冷たい体を触ることができなかった。

少しずつマシにはなってきているけど

やっぱり怖い。

 

 

 

 

 

そのことを兄と弟に話した。

弟は『何を言っているのか・・・』と思っていたが

兄は「なんとなくわかる気がする」と言ってくれた。

 

 

 

 

それでも家族は疲弊していく中で

誰かが父の夜の付き添いは必要だ。

 

 

 

私は弟に父のトイレなどはやるので

「一緒に付き添ってほしい。」と無理を頼んだ。

父、弟、私の3人で寝るのだ。

弟は仕方ないね・・・と呆れていた。

 

 

 

 

そんなやりとりをしながら京都駅に着いた。

 

 

 

 

京都駅まで兄と母が車で迎えにきてくれた。

家には弟と母の弟が父の様子を見てくれている。

 

 

 

 

車中、父の様子を聞きながら

今後のことを話しながら夕飯の買い物をするために

家の近くのスーパーに駐車をしたとき

弟から電話がかかってきた

 

 

 

「父の容態が、おかしい

呼吸が速く体が大きく震えてヤバイかもしれないので早く帰ってきて!」

 

 

 

血の気が引くのを感じた。

とにかく早く家に帰ろう!

大急ぎで車を出発させた。

 

 

 

 

続きは次回に。

長文を読んで下さりありがとうございますドキドキ