9年前、私は仕事場の本屋の中にいました。

すごく長い揺れで、びっくりしたのを覚えています。

 

繁華街の職場から、家に帰るとき

もう信号は動いていませんでした。

ここからけっこう距離もある。。

まだ7ヶ月の息子が、家族に預かってもらっていたのです。

 

タクシーを拾い、家に向かう途中。

信号が動いていなくても、道行く車に乗っている人たちは

譲り合っていて 事故なんか起きていませんでした。

 

水道とガスが無事だったこと。

電気はなかったけど、家族みんなでギュッとかたまって

あったかさを得ながらねむったこと。

なんとか食べれてたこと。

 

人のぬくもりやこころがしみたこと。

テレビで何度も津波の映像が流れて怖かったこと。

ほっとするのも、怖がらせるのも人間ってのが一番衝撃だったこと。

 

 

今、9歳の息子を見ながら思うのです。

生きられなかった人たち、命をさらわれた人たちがいる。

わたしはこの年数、なにをしてこれたんだろう。

 

 

コロナウイルスで外には出られないことも多い。

でも。

電気も、水道も、ガスも、全部ある。

食べ物も買えるし、ガソリンだって供給できてる。

命だって、守ろうとしていればいきなり波にさらわれることもない。

安心して眠れる寝床もある。

雨風から守ってくれる壁もある。

 

ない、ない、ない って言える命がある。

ここに生きてる。

 

 

コロナウイルスで、なにが怖いのかを

先日考えてみました。

「いきなり自分の人生が終わる怖さ」

これが一番でした。

 

ん?だったら、今 

この瞬間からやれること

         やりたいこと やっていけばいいんじゃない?

 

いつか本当にあの世に行くときに、

あれやっとけばよかったなって後悔しないように。

今から やろう。

そう思って このブログを書いてます。

 

ほんとはもう全部、持ってたんだなあ。

どんな時でも、いい考え方ってあるし

ツライ・悲しいをくぐった分

きっとそういう光ってるもの

見つけやすい見方も少しは身についたと思う。

そちらを見ていくのだ!

きっと、もうすぐ咲くよ。

 

あの3.11でのいろんなことがあった方たちのお心が

少しづつでも元気になりますように。

亡くなられた方たちがあちらで元気におりますように。

 

ということで、お久しぶりのブログでした。

へば、またの~(*^-^*)