食べていないと不安になる

=書いていないと不安になる

=読んでいないと不安になる (ただし長文は読めないので短文ばかり)。

 

どうやら密接に関わっているらしい。

 

言葉の刃を研ぎ澄ましたい と思う。

言語化ができれば それだけ 世界は奥深さを増し 真実に近づき 現実化するから。

 

マンガを読んでいて

学生のころからノートの端に呟きや絵を描いていた自分、報われたね

という作者のコメントがあって、

自分は学生時代何をしていただろう と思うが

本当に好きなことは何も思い出せなかった。

 

でも今思うと 本を読むことと

何かのテーマについて掘り下げて 持論を書くことには

心が燃えていたような 気がする。

唯一それだけ。

あとは無気力に生きていた。

 

今はもう 本を読むのも 頑張らないと 出来ない。

今は ほんの少し頑張るだけでも 後に響く。

だいたいが無理している生活なのだから。

 

だからせめて 書くことの楽しみを見つけたいと 思う。

ツイッターで 女性研究者のツイートを読むと 心が躍る。

探り 極める喜び。

 

主婦として 子供に興味を持つ事も 夫に興味を持つ事も 家族に興味を持つ事も

本当にはあまり出来ない人生だった。

夫は あんなに人の世話してるように見えて

別に世話しなきゃとか世話が大変とか思わない、皆それぞれ生きてるだけ と言う。

人に興味がないからこそ 適当に多くのことをこなせるのかもしれない。

私も 今擬態して見せているほどには 人に興味がないので もっと それを自分の世界に没頭したいと思う。

なので 子供が小学校から帰ってきても あまり興味が持てない自分。

子供たちは太鼓の達人で勝手に 遊んで楽しそう。

終わると はー楽しかった! といってスッキリした顔を見せている。

それでいいや と思う。

教育とか 最早よく分からない。

自分のことで精いっぱいなのに 他人の教育なんぞ 出来るわけない。

生命維持で精いっぱいだ。

 

何かこれでこそASDって感じ。

 

 

 

 

新聞で、女流作家の言葉を読んで感銘を受けた。

朝 死ぬ気で書く。それから 一日かけて死ぬ気で 言葉を減らして研ぎ澄ませる。

 

良いなと思った。

私もそれをやろうかな。

こういう文章の書き散らしバージョンと、

それを一日かけて 伝えたいことに研ぎ澄ませたバージョンを作る とか。

 

 

 

私がもし余命1年なら

山中に引きこもって 一人で生活して ひたすら絵を描いていたい と思う。

没頭したいのだ。

でも今は 中々頭の中で気が散って 没頭できないという理由で

絵を描くことが出来ない。

本を読むことが出来ない。

産前最後の1か月くらい 没頭してみたらどうか。

ぜんぶそぎ落として 本当にやりたいことくらい してみたらどうか。

もう 人との共同生活のなかで善き自分でいること、 子供の未来のために色々考えること、

それには散々悩んで 体調も崩して 十分やっただろう。

 

一か月くらい 人のことを気にせず 没頭してみたらどうなのか。

 

 

 

 

女性のワークライフバランスについて