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1つ前のブログでは、相手によって世話する困難度は違って当然だから、一概に、『世話するのが偉いのでも、世話しないのが偉くないのでもない』という持論を書きました。
この言葉は、父、父親の奥さん、姑、夫の妹と、今まで4人の世話をしてきている自分の経験からもきています。
1️⃣ 父
父の晩年は、パーキンソン症候群にアルツハイマー型認知症、病院のベッドから落ちて骨折し寝たきりとなり、腎盂腎炎も併発、何度か敗血症で入院してはもうダメかと思っても復活しての退院を繰り返していました。
認知症でも昔からの習慣は怖いもので、その人の生き様が出てきます。
父は株の罫線を付けることが趣味でした。字が読めなくなっても新聞を読みたがるのです。なので、日経新聞を読むフリする為の新聞を用意してあげました。
また、鍼灸師だった父は「患者が待ってる。仕事に行く!早く出かける準備してくれ!」と言い張るので、「患者さんから急用が出来て断りの電話があったよ」と父をなだめるのが本当に大変でした。
自宅を売却して老人ホームに入所するときに処分してしまった往診カバンと似たものを、わざわざメルカリで見つけて購入し老人ホームの部屋に置いてもあげたんです。
アルツハイマー型認知症の上に、パーキンソン症候群の薬は患者に幻覚まで見させます。
父の部屋に行くと、「シッ」と口に指を当てます。
「今、治療中だから静かに!」と言うのです。
父の幻覚に最も出現頻度が高かったのは、父の亡くなった母親でした。一度、「お婆ちゃんは死んだでしょ」と伝えてしまったら、顔を大きく歪めて「そうか、死んだか!?死んだのか!?」と物凄く悲しそうな顔をして遠くをみつめる目をし沈黙が続いた為、私は残酷な事をしてしまったと後悔しました。
それ以来、私は父の話になんでも合わせてあげることにしました。そのほうが認知症の人は落ち着くことも知りました。
延々と繰り返す同じ話の堂々巡りに付き合ったあの時間も懐かしく思い出します。
ある日のベッドの上の父は、誰かの法事に行っていたようで、私に持ち帰ったメロンを食べろとうるさかったり(笑)
子どもの患者がベッドの下に隠れてしまったから一緒に探してくれ!と必死だったり…
文章にすると数行ですが、これらの話が父のとこにいる間、ずっと続くんですからお付き合いするのも大変でしたよ(笑)
訪問医の帰り際に、父の方が医者に「お大事に」と言葉をかけるので、医者も苦笑ですよね(笑)
それでも最後まで私のことは覚えてくれていて、常に父は穏やかでした。
そんな父も3年前に他界しました。
私は父親の世話は、偽善でもなんでもなく、仕事を理由に世話出来ないという兄や、他府県在住を理由に世話できないという姉よりも、世話させてもらえる私は幸せだと思ってました。
「すまんな。ありがとう」という気持ちを持ってくれてるのが伝わってきて「こちらこそ長生きしてくれてありがとう!」という気持ちになれたからです。
まだかろうじて歩けた時は、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれる父でした。帰宅したら必ず「無事に着いた」の電話もさせられました。
父の口癖は「あゆみは幸せか?」と聞いてくることでした。「幸せだよ」と返事するしかないですよね^^;
父は最期の時まで、子の幸せを願う親でいてくれました。
2️⃣ 父親の再婚相手
私は最愛の母を、母が50歳になったばかりの時に亡くしています。その後父は再婚しました。
父親の奥さんの老後は、私への攻撃が多く、文句や悪口を言われてのお世話でした。
奥さんは父よりも14歳も年下で初婚。
父のことが大好きで、ほぼ押しかけ婚。
当時は、我々家族に、奥さんのご両親が反対している事も嘘をついて伏せてました。そりゃ、独身の娘がいる2人も住んでいる家に入り込むなんて、ご両親も反対しますよね。
結婚したときは既に透析患者で我々も奥さんのことを気遣ってあげなければならない立場でした。
とはいえ、奥さんの体調はすこぶるよく、テニスに、自宅で学習塾も開くなど、精力的に活動できる元気さもあったから再婚できたのです。
奥さんは夫命の人で、父親としての子たちへの愛情に嫉妬するような人でした。
完全に夫の愛情をめぐって、一方的に子どもたちにライバル視してくる人でした。
私の結婚時、結納が終わって彼と両親が帰った後、彼の母親が着ていた着物や、私への贈り物に嫉妬して、私の前で平気で泣き出すようなタイプの人でした。私は嫉妬深い人がこの世で一番苦手。そんな人が父親の再婚相手ということに、今後の苦労を思うと憂鬱でした。
それでも、奥さんが弱ってきて介護が必要になってきたとき、父は再婚して幸せだったのだろうから、その点に感謝して、奥さんと関わるストレスを誤魔化そうとしましたが、こういうポジティブシンキングも役に立つことはなく、このままでは精神的に自分が病んでしまうという危機感もありました。
奥さんから頻繁にかかってくる電話の内容はろくな内容がなく、着信音が鳴る度に心臓がバクバクしてくるようになっていた頃、そんな私を見かねて、電話を取るのをやめてメールだけの連絡に切り替えることをお願いするようにアドバイスをくれたのは、当時医学生だった次男でした。
奥さんから離れることを決意してからは、父亡き後、奥さんが父と暮らした老人ホームから新たな老人ホームへの引越しまでを私のほうでした後、奥さんの財産管理や老人ホームとのやりとり、奥さんとの電話のやり取りなど一切を、兄と姉に任せました。
奥さんから離れる決意をし、見捨てた離れた罪悪感から自分を解放させるのに役立ったのは、自分を守る為のアドラー心理学『嫌われる勇気』を読み込み、いい子ちゃんでいたい自分を解き放つ作業でした。
今までの奥さんとの確執や何十年間に渡る私の苦痛を兄と姉に『きょうだい3人LINE』上で伝えることで理解してもらい、「今までご苦労様でした。あゆみちゃんもゆっくりして」と兄と姉が言ってくれたことは有りがたかったです。
文章だとさらっと書けてしまいますが、ここまでの状況に持っていくには兄も姉にも覚悟する時間が必要で、私の今までの人生の中のストレスの大きさから言うと、結構大変なことでした。