読ませて頂いている介護ブログの中の1つで、実家と義実家の両方の事で悩みを抱えていらっしゃるブログも読ませて頂いている。
その方は、義実家の寺との付き合いで、お布施に対する高額な要求に怒りすら覚えていらっしゃるが、義理親が寺との付き合いを続けて欲しいと願っている以上は、檀家として寺への帰依心も尊敬の念も全く無い中で不満に思いながらも、預かっている義理親の通帳からそれら高額な金額を寺から要求されるままに支払っている。
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隣は何する人ぞの都会と、地域の眼差しに晒される田舎との大きな違いは未だにあるのかもしれない。
地域の慣習や目が気になる土地に住んでると、寺の数そのものが少なく、縁を切りたい寺との仏縁を切るのは難しいこともあり、檀家としての付き合いに悩んでいる人たちは大変だなとお察しする。
ここからはあくまでも個人的考えでしかないが、先祖供養を寺に頼む場合の最も大切なキモは、その寺に帰依して供養をお願いしたいと思う信頼関係の有無であって、不信感を持つようなお寺に頼んで供養をお願いしても、それって供養の意味をなしていない気がする。
宗教心が強い人は別として、大概の日本における仏教徒の寺との付き合い方は、先祖供養の為という側面が強く、残された者の使命として、先祖を供養していこうとする気持ちのみでお寺との付き合いを繋げていく。
法要の機会でもないと、両親が他界してしまったら尚更 親族一同が会する機会も失われていくのもあって、法要は親族が集まれる貴重な機会ともなり得るから、親族でたまには会いましょうと思える仲であれば、そこに法要を続ける価値を見出す事も出来る。
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この問題は、他人事ではない。
幸い?私と夫の実家の宗派は共に浄土真宗
浄土真宗と言えば、開祖は親鸞聖人
浄土真宗では、お墓は故人や先祖を慰め成仏を願うのではなく、「極楽浄土へ旅立った故人を想いながら阿弥陀様への信仰心を新たにし、仏縁を結ぶ場所」とされています。 故人は死後すぐに成仏して極楽浄土へ旅立ち、そこで生まれ変わるという教えであるため、お墓は故人の魂や霊が宿る場所ではないと考えられています。
とネット検索しても出てくる。
あの歌『千の風になって』の歌詞の通り
お墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風 になって
あの大きな空を吹き渡っています
というのが、元々の浄土真宗の教えなのだ。
同じ仏教でも、お盆などに費やす労力も、寺から要求されるお布施の額も、宗派によって全然違うというのは皆さんもご存知の通りで、親が両方とも亡くなったら、禅宗から浄土真宗に檀家を変えてしまうという人のこともたまに聞く話というのは、そういう理由もある。
特に、日頃から付き合いのある寺がない場合、葬儀場でお寺さんも紹介してもらう事がある。そして、その後の四十九日法要や一周忌法要も葬儀の時にご縁を頂いたお寺さんに頼むことにもなりやすい。
亡くなった親の宗派が禅宗だったとしても、この葬儀の時に、浄土真宗のお寺さんを紹介してもらうことで宗派を変えてしまったという話は、世の中には案外ある話ということなのだ。
宗派が違ってもお釈迦様の教えをルーツに持つ同じ仏教なのだから、そこは拘らないというのが、家族葬が主流となってきた時代に生きる我々世代の新しい風潮なのかもしれない。
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浄土真宗の家でもお墓を持っている人たちも多くいるが、中には信仰心が厚く教義を深く学んでいる家の人ほどお墓を持たず、持たないこと自体にも罪悪感は無い。
我が父方の実家は、先祖代々の墓はあったが、〇〇家の墓が無かった。
私の母はがんで50歳の若さで亡くなる時、〇〇家の墓を自分の為に作らないように遺言を残した。
理由は、母も信仰心は厚く私も子どもの頃から名古屋の東本願寺別院によくついて行っていたくらいだったので、教義についてもある程度母は知っていたのもあったのだろうが、
これからの時代、村に一族が留まる時代ではなく墓守そのものが大変なのに、子どもたちにその負担をわざわざさせる必要は無いという親心でもあった。
ところが、父親と再婚した奥さんが、自分が入る墓を欲しがって、父を説得して墓を作ってしまった。
父の生まれ育った実家があった場所は、今でもこんな田舎。田んぼの中に村人運営の霊園はあります。
亡き母の供養も兼ねているから、作ってしまったなどと言うのは罰当たりにも思えて、我々子どももへそを曲げることはしなかったが、父が育った実家近くの村運営の先祖代々の墓の隣りに建立した〇〇家の墓は、田舎にあって行くのも大変で、今は私の兄が墓を守ってくれていて、掃除してきたことも兼ねて花を手向けたことをLINEで教えてきてくれる。
こんなふうに↓↓↓
父のマンションにあった小さな仏壇も、3年ちょっと前の老人ホーム入居でマンションを売却する時に、仏壇は兄が引き取ってくれた。
私が、年老いて認知症が出てきた父と病気持ちの奥さんに代わって、両親に関わる全てを管理する役割を担った当時、墓に関する連絡先変更で、私の連絡先を村の霊園役員に伝えたことがあった。
そしたら、村運営の墓地には輪番制の役員を置いて墓地の掃除や全体法要など墓の運営を村人たちで行っている中、村内に住まずそういった役割から無縁なのはうちの親が建立した墓だけであり、今後もお子さん達が関われないなら、墓の移転や墓じまいの予定はあるかないかを遠回しに電話で聞かれた事があった。
私は「申し訳ないです」と謝り、「親族たちともその旨伝えて相談しておきます」と伝えたのが5年前。
そんな訳もあって、我々子どもたちには墓じまいする大義名分も立っている。
奥さんが生きている間は墓じまいする事を奥さんから強く止められている為、父の骨も墓に入れない中で、墓もそのままにしてきたが、奥さんが亡くなったら墓じまいする事を奥さんに伝えてある。
それで、父の墓用の骨を最初から拾わないと決めていた為、大きな陶器製の骨壷も葬儀場の打ち合わせ時にお断りした。
そして、京都の東本願寺もしくは名古屋の東別院に納骨する為のお骨入れだけを、打ち合わせの際に葬儀場で準備してもらった。我が家は、兄姉私がいつでもおまいり出来るように、名古屋の別院に父と奥さんの骨を同時に納骨しようと話し合っている。