前回からの要約の続きです

 

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【 医師個人の立場から見た新臨床研修制度前の医局とは】

 

◆外様の悲哀

 

昔は世の中のほぼすべての病院が大学医局に人事を依存する関係にありました

 

人事権が医局にあるのならば、大学医局から斡旋されない限り、個々の医師は病院への就職自体ができなかったのです

 

医局を介さず就職先を探すとなると、医局と無関係に存在する個人経営の小さな医院、民医連、徳洲会グループなどの特別な選択肢しか残らない状態でした

 

どこの医局に入るかは、どこの大学であろうと自由でした

 

地方大学を出て東京大学の医局に入ることも可能でした

 


しかし、さまざまなドラマで物語の軸になった「学閥」と呼ばれる慣習も広くありました

 

学閥とは出身大学が外の大学である医師が差別され、努力しても人事上報われない慣習を指します

 

出身大学による差別は厳然と存在していましたので、例えば出身地と違う大学を卒業した医師が、出身地に帰りたくて地元の大学の医局に入ると、関連病院への異動も他の医師たちからは人気のないところに強制的に派遣されました

 

研究もなかなかさせてもらえず、学位を取っても大学の研究ポストはもらえないため、すぐに関連病院に異動させられる傾向にありました

 

 

◆内側の人間だって大変だった

 

ですが、学閥の内側の人間も決して楽ではありませんでした

 

出身大学が医局と同じ大学であろうと、いったん医局に入ってしまえば「親分」である教授に「子分」である医局員は絶対服従でした

 

教授が「来月から〇〇病院に行きなさい」と言えば、家に帰りすぐに引っ越しの準備を始めて、場合によっては家族と離れてその病院に行かなくてはならなかったのです

 

子分である医局員はやすやすと教授に従いました。

教授の意向に沿わなければその後の就職先を斡旋してもらえないからです。


「今だけの我慢だ。その次はきっと良い場所で

働かせてもらえる」と思い従いました

 

他の医局に移ることもできたのですが、多くは良い結果にはなりませんでした。年をとった新人は不遇になります。

 

一般的に医師が赴任したい人気のある病院は、経験が多く積めて、先進的な医療ができる規模の大きな病院です

 

医局制度下では、ある程度の大きな病院はすべて

医局の支配下でした

 

良い経験を積める病院で働くには医局に入らざるを得ず、医局を辞めれば開業しか選択肢がありませんでしたので、開業を希望していない医師にとっては医局に逆らうのはいばらの道でした

 

組織に入ることが義務で、辞めることもできない、

これは日本の古い農村の「村八分」の原理です。


村八分とは農村の掟に従えない人を村八分と宣言し、葬式と火事以外は一切関係を断って孤立させる習慣です。

 

村八分になった人はそれでも他に行くところがないので孤立した人生を送ることになります。


みんな村八分にはなりたくないため村の掟には絶対に従いました。

 

医師の世界でも同じような時代がずっと日本では続いていたのです

 

マンションを購入してから教授に他県への異動を命令され、泣く泣くマンションを手放すことになり大損してしまった…という話も普通にあることでした。

 


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以上、ここまで読んで、思ったこと。

 

人事異動で転勤があり単身赴任も余儀なくされる

これはサラリーマンの悲哀そのものです。

 

新臨床研修制度前の勤務医の医師も、こういう点でサラリーマンと同じだったのだと思いましたが、一つ違う点があるなと感じました。

 

サラリーマンは、たとえば工学部を出てロボットの研究をしてきたからといって、まずロボット研究をしている会社にうまく就職できるとは限りません。


仮にうまく就職できたとしても、人事の判断で、営業など、大学で学んできたこととは違う部署に飛ばされたりといったこともよくあることです。

 

一方で医師は、大学で学んできた医学を生かし、少なくとも医師という仕事ができるということは当然ですが、保障されています。自分の進みたい専門の科を選ぶこともできます。

 

一方、地域枠などで進むべき科もある程度の縛りがある特殊なケースはありますが、それでもその人がそれを承知で地域枠を選んでいるのですからそれは自己責任ですし、本人も承知の上でのことです。

 

※少し脱線しますが、このことに関しては

自己責任、本人も承知の上

と上記に書きましたが、

受験生の間は、いろいろなことがわかっていません。

 

大学生活を6年間過ごし、義務9年の間には本人にもいろいろなことが見えてきます。

 

自分の嗜好性や特性も考えて決める専門の科は、受験生時代に考えていた科とは大きく違ってくるということはよくあることだと聞いています。

 

そして、息子を見ていても、そのような聞いた情報は間違っていないと心から思っています。

 

親が開業医で進むべき科が決定している場合は最初から学生も腹をくくっていますから別ですが、

そうでない場合は、出来ることなら将来の進む科まで限定されてしまうような受験方法を選ぶことは、

受験生は避けたほうが良いと、子どもを見ていて実感として思います。

 

脱線しました^_^;

話しを医局の話に戻します。

 

とは言っても、息子たちのような若い世代は、このような昔の医局制度の村社会の時代に戻りたいとは思わないのかもしれませんが、案外このほうが楽だという人も多いのかもしれません。

 

 

医局の話はまだつづきます・・・