小学校4年生のときの事だった。

 

親は、自宅から廊下に繋げた建物で治療院を営んでいた。

 

道路に面した玄関は普段から鍵をかけてあり、家族はもっぱら通路の門扉を開けて勝手口から出入りしていた。

 


ある日のこと

学校から帰ったら勝手口の鍵もかってあったので、通路奥の治療室の方まで行き、治療室に母がいないかと、窓の網戸越しに顔を近づけ治療室の中を見た。


 

治療室にはベッドが2つあって、手前のベッドの上に正座で座っている見知らぬお婆さんの後ろ姿が見えたびっくり

 

人の姿なのに生きている人でないことだけは分かったあせる



私は背筋がゾクッとして、慌てて玄関に戻って呼鈴を押し、母に玄関戸を開けてもらった。

 

そして、母に先程治療室で見たお婆さんの事を話した。

 

 

すると母の顔色が変わり、家の中から廊下で通じている治療室へと急ぎ、中に人がいないことを確認してから青ざめた表情で次のことを私に話した。

 

 

・・・・・・

 

 

母の血筋には、強い霊能力がある叔母がいた。

この人は私の母方の祖母の妹だった。


大叔母さんは夫を早くに亡くし1人で二人の子を育てるために自宅でちょっとした雑貨屋を営んでいてお客さんと接する機会が多かった。


大叔母さんの、何かを見通してしまうような強い霊能力は近所の人々の間にじわじわと広がり、霊視をして欲しがる人が訪れるようになって、ちょっとした有名人になっていると母から聞いていた。


その霊能力を仕事にして人様からお金を頂くような事はなかったが、とても謙虚で尊敬出来る人柄だっただけに、相談者がよく訪れていると母から聞いていた。



   左から姉、大叔母さんの孫、大叔母さん、私
      ↑
昭和40年代、正月に着物を着て大叔母さん宅を訪問したときの古びた白黒写真^^;


✧• ───── ✾ ───── •✧


叔母さんと仲良かった母が、1人で叔母さんの家に遊びに立ち寄った時のこと、にこやかにしていた雑談を叔母さんが急に止めて、



「今、〇ちゃんのそばに女性の霊が出てきてるよ…」


と言われたらしい。



成仏できていない霊は、ある人に何かを伝えたいことがある時に、

霊能者の前に意図的に出てこれるのだろうか❓

 

 

「この人の霊は、〇さんの父親の母親だと伝えてるよ」


と叔母さんから言われたことを、私はこの時初めて母親から知らされた。


「〇さんの父親の母親」とは、私の父方の祖父の母親、つまり、私の祖祖母に当たる人だ。



祖父も鍼灸師で、私が幼稚園年中の時に他界するまで、当時は鍼灸治療院を祖父と父2人で営んでいて、私も祖父と一緒に暮らした記憶もある。



✧• ───── ✾ ───── •✧

 


この、私の父方の祖父は、幼少期にA家から親戚のB家に養子に出された。


幼くして父母と引き離されてしまった祖父は、A家への思慕の情が強すぎて逆に、自分を手離したA家の親を恨む気持ちになっただけでなく、自分を養子にくれと頼んできたB家の親にも心を閉ざしてB家の親とも良い関係を築けなかったと聞いていた。


傷ついていた祖父は自分をどんどん孤独にしていき、青年期になると、早い段階でB家を出て親たちへの連絡を断つくらいB家に馴染めずじまいだったと聞いていた。



そういったこともあり、母は舅のB家の両親に会ったことはなかったらしい。


その、祖父を養子にもらったB家の祖父の母親になった人が、母に供養して欲しいと頼んできているというのだ。

 


母は、信頼している霊能者の叔母さんからこのようなことを言われていた矢先だったので、私が見たお婆さんの姿をした霊は、舅のB家のお母様に違いないと思ったようだ。


 

私がお婆さんの姿をした霊を見たことをきっかけにして母は叔母からの話を気にかけてはいても行動を直ぐに起こしていなかった自分を奮い立たせた。


そして、仏壇を購入して、嫁ぎ先であるB家の先祖供養を始めた。

 

 

以来、B家の苗字を唯一1人だけ受け継いでいた長男だった父は、仏壇の花の水を毎朝かえて、手を合わせ祈る事を欠かさなかった。



✧• ───── ✾ ───── •✧



新しい仏壇が我が家に来てからは、和室には先祖の写真も鴨居の上に飾られるようになった。


明治時代、写真が極端に少ない昔のこととはいえ、養子に出されたB家の祖父の親たちの写真は1枚もなかったようだ。


だからなのか、私から見た血縁であるA家の曽祖父の写真が飾ってあり、その横に祖父の写真と続いていた。



✧• ───── ✾ ───── •✧



祖父が亡くなってから、小学生だった私の家に、物腰が柔らかくて品があるA家の男性が訪ねてきて、代々続いてきたA家の江戸時代からの家系図を私も一緒に見せてもらったこともあった。


この時に、江戸時代から代々受け継がれてきた何かの品物も見せてもらって、具体的に何だったか覚えていないが、「へぇー!凄い!」と感嘆した記憶がある。


その家系図を見ながら、祖父が養子に出されていなければ、私の苗字もB家の姓ではなく、A家の姓になっていたのか… ということを不思議な気持ちで考えた。


この時から、その親戚が持ってきてくれた、私と血が繋がっているA家の曽祖父の写真が、我が家の仏間に飾られるようになった。