皆さま、おはようございます!


夢は笑いの取れる演歌歌手!


上から読んでも下から読んでも…

美里里美です音符



今日は朝からスコールのような雨が降り

その雨音で目が覚めました👀


その後撮っていた映画を見たのですが

あまり面白くなく寝てしまっていました。


今は「さとみ夏まつり」の

準備をしています🎶





さて、昨日行ってきました

「平和祈念展示資料館」


昨日朝テレビで

平和祈念展示資料館の事をやっており

行ってみたいとなり1人で行ってきました😊

《3つの苦労》で構成されている資料館。


兵士

戦後強制抑留者

海外からの引揚者


ひとつひとつの説明を読み進めていくのですが

終始涙と鼻水が止まりませんでした。


《赤紙(召集令状)》

20歳に達した成人男子は

全員徴兵検査を受けることを義務付けられていた。

徴兵検査で合格すると赤紙が送られてきた。

満20歳の健康な男子となっておるが

戦争後期は満19歳~と拡大された。

満州事変から終戦までをまとめた図

私が勉強になったのは

太平洋戦争の中の

第二次世界大戦だったんだという事です。

そこを知らなくて…

勉強不足だなと思いました💦

まだまだ勉強することは

沢山だなと改めて思いました💦

《戦後強制抑留》

戦争が終わったから日本へ帰れると

乗せられた船や列車で散り散りに

連れてこられたのは中国やシベリア

ソ連の人達の食べるものすら

あまりなかった終戦後

抑留者に与える食事は

250gの黒パンとスープのみ。

飢えと病気に苦しみただ日本へ帰ること

お母さん、奥さん、愛しい人に会うことだけを

生きて帰ることだけを希望に日々を過ごしていた。


メガネが壊れた時も

針金を繋ぎ合わせたり

亡くなった抑留者のレンズを

もらったりして作った。


ソ連軍から支給されたという防寒外套


私も着ました。

こんなに重いものを着て栄養失調のなか

シベリアの極寒で労働をさせられていたのかと

思うと言葉になりません。


そして、戦争で苦しい中でも

抑留者達は自分たちで考え

光を見出していたそうです。


抑留者達で「劇団」を作ったり

麻雀牌を作ったり

それぞれに思い思いの楽しみを考えながら

生活していたそう。

《海外からの引揚げ》

1945年8月15日第二次世界大戦にて

日本が降伏したことで

海外に生活基盤を有する日本人が

日本へ戻されたこと。


引き上げ開始から4年間で

ほとんどの日本人が日本に戻ってきた。


有名なのは舞鶴だと思います。


大事な青春時代をお国のためと戦い

散った命は数知れずです。

昔から戦争、反乱と

人が人を傷つけて来たのも

事実です。


だけれどもうこんな悲惨なことは

あってはならない。

それを伝える戦争体験者も

高齢を迎え毎年減っていっています。

ではそれを廃れさせずに伝えていくのは

私たちだと思います。


私もますます興味を持ち、

勉強して伝えていきたいです。


命を投げ打って自国を守り抜いた

先人たちに感謝、尊敬の念を込めて

8月15日のエコス境さんでは

「岸壁の母」心を込めて歌わせていただきます。


今、生きていることに感謝して

戴いた命、大切に生きて行きます!



長文

最後までお読みいただきありがとうございます。


美里里美