2015年も、どうやら今日が最終日らしい。


1年があまりに早くて、戸惑っている。


私はずっと書きたかった事があって、


これを形にせずに年は越せない。


ちょうど今年の11月1日、局アナウンサーを辞めて、個人事業主になり、2年を迎えた。


なんといいますか。


苦しいと分かっていて、自分で選んだ道ながら、想像通り、いや想像以上に


悩んで、もがいて、ひぃひぃ言ってた2年でした。


ただ、ものすごく強がりな私は、もがいている最中には、それを悟られるのがイヤで、弱音は吐けず。



やっと色々と整って、落ち着いた、今だからこそ書けることがあるなと。



言葉って、タイミングがあって。
「あ、これは今言わなきゃ、一生口にはできないな」って、瞬間があるから。


残しておこう。


仕事について。

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私にとって、アナウンサーの仕事は小学生の頃からの目標だった。


テレビ、ラジオは世界中のことを何でも教えてくれる。


実家の神奈川県のマンションにあるその「ハコ」の中で、とても行けない世界中のこと、とても会えない人たちのことを伝えてくれる。


これがあれば教科書なんていらないじゃんと思っていた。


家が厳しく、ニュースはNHK、それ以外は1日1番組と決まっていたから、親のいない時間を狙って、かじりつくようにして見る。


ドラマなんてセリフを丸ごと覚えるくらい真剣に見ていた。


その中でも、美しい言葉を使い、自分が主役ではなく、主役のゲストやニュース、何かを輝かせるために、そっと寄り添う、アナウンサーの仕事が素敵に見えた。


もともと「言葉」が好きだったから、
中、高と作文、論文もバシバシ書いてはコンクールに出し、大学時代はラジオDJやBSのニュースキャスターオーディションを受けては仕事にしていた。


大学一年生から、大学と一緒にTBSアナウンススクール、テレビ朝日アスク、東京アナウンスセミナーに通った。


その3ヶ月で10万円の学費を稼ぐために、
大学4年間で29種類のバイトをしてお金を貯めた。


学校帰り、合コンに行ったり、クラブに行ったり、海外旅行にも行かなかった。
興味がなかった。


今思えば、アナウンス技術より、もっと色々な経験をしていた方が豊かなアナウンサーにはなれるのだが、その時は好きな仕事に就くための準備しか興味がなかった。


そして、全国受験。
北は北海道から、南は九州宮崎まで。


新幹線や飛行機は使わずに、節約のため青春18切符と夜行バスのみ。
泊まる場所は漫画喫茶かファミレス。
32社目でご縁を頂いた山口放送に、局アナウンサーとして正社員で入社が決まった。


それから5年。


山口放送は本当に素晴らしい会社で、
ニュースキャスター、情報番組のMC、中継、リポーター、スポーツ番組、ラジオ番組、ナレーション、司会、CM、
企画や編集もやらせていただいた。


仕事が分かってくる。
これから、もっと面白くなる!というタイミングではあったが、ひとつ決断をした。



2013年11月1日


5年勤めた山口放送を辞め、


フリーランスになった。


芸能事務所に所属が決まり、たまたまご縁のあった芸能リポーターの仕事を昼の帯番組でレギュラーでやらせて頂けることになった。


運が良かった。
毎日朝から3本くらい記者会見に行って、スタジオ出演もあって、かなり忙しかった。


一見良さそうに聞こえるが、困ったことに、時間はないのに、月収は今までの半分にも満たないくらい。
 

貯めていた貯金はどんどん少なくなって、底をついた。
あまり言いたくないけど、お金は大事だね。
家賃が払えなかった。食費がなかった。



当たり前に仕事があり、当たり前に固定給がある、会社員としての局アナウンサーがいかに恵まれていたかを思い知った。


自由になる7時間くらいを、アルバイトに割いて、睡眠時間、1、2時間で本業へ出掛けていた。土日は日雇いの仕事をした。



本当に寝る時間がなくて、でも「生きていかなきゃ」という強い意識があれば、朝も起きられるし、案外やれるものである。



お付き合いでいく食事だけはきちんとお金を使って、ひとりの時にはもやしの炒めものや、キャベツばかり食べていた。



そうして、やっと新しい番組になれてきた頃、今度は4月改変で番組がなくなることになった。


様々なニュース番組や経済番組のオーディションを受けるものの、フリーアナウンサー飽和状態の中で、あと一歩の所で不合格が続く日々。


一つの仕事をとるために、何百、何千の関門をくぐり抜ける。


ただ、その仕事を得たとて、いつ打ち切りになるかは分からない。


落ちる日々が続けば、どんどん自信がなくなり、焦っていった。
アナウンサーとしてだけじゃなく、もう人間として価値があるのか?まで考えてしまう。


だって、そうでしょ?
フリーアナウンサーも、仕事がなければ、何もない人。



しばらく喋りの仕事がなかった時、
朝起きて、行く場所がないことに焦った。
街を歩いてみて、私は何やってるんだろうと思った。
この先どうなっちゃうんだろう。って。


気付いたらめちゃめちゃ天気のいい日。真っ昼間の三軒茶屋の道端で、歩きながら泣いていた。


こりゃ、きてるね。
結構病んでるね(笑)


ま。要するに甘かったんです。
世間知らず。
恵まれてきたことを理解していなかった。



その時に思った。
今の状況では、人頼りだからだめなんだと。


事務所やマネージャーさんが仕事を持ってきてくれるのを待つのではない。


仕事は、自分で興し、生み出すもの。
喋りしか知らない私には知らないことが多すぎる。



本当にやりたいことはなんだ。
本当に伝えたいことはなんだ。
自分が作りたいものはなんだ。


与えられるものではない、独自のコンテンツを生み出すにはどうしたらいい?


考えた結果、芸能事務所を5ヶ月で辞め、独立。
完全フリーとして活動しながら、プロクリエイター集団『つくる女』の一員になり、アナウンサーに加え、制作プロモーションを担当するように。


ゲーム制作と
ゲームプロモーションのイベント制作、番組制作をメインに
  

あらゆることに纏わる、営業、企画、制作、運営、広報を勉強し担当するようになった。


ゼロからの勉強だけれど、それを丁寧に叩き込んでくれるのが「つくる女」の代表である。


「どこへ行っても、ゼロから1を生み出し、生きていける人間にする」いつも代表が教えてくれること。


そして、「つくる女」のように、様々な得意分野に特化した仲間がいるから、補いあって「ものづくり」ができる。


仕事って、生きるって、


全てがたくさんの人やものごとのリレーで成り立っていて、
決して1人では、何者でもない。
ということを感じています。


本業のアナウンスをやることもあれば、
企画やイベント制作もやる中で、やっぱり両方が分かるからこその、
できることが増えたなと思っています。


あらゆる場面で、すぐ隣にいる方の気持ちをしっかり汲み取って、寄り添っていける、気持ちに応えていける人間になりたいです。


アナウンス技術だけでも、企画制作技術だけでも、だめ。


最後はやっぱりどの世界も人間性。


ちゃんとしなくっちゃ!


まだまだ未熟者ですが、見守ってくださる皆さんと一緒に来年も頑張ります。


来年の目標ややりたいことは沢山あるけど、それはまた今度☆


関わって下さる全ての方に感謝を込めて…
2015年もありがとうございました。


良いお年をお迎えください♬






2015年12月31日
大河原あゆみ