前回のお話↑
何一つ確証のないまま始まった私の東京ライフ。
慣れない環境で心細かろうと、猫ちゃんファーストで日常のリズムが作られていく中でも、重い重い責任から解放されたおかげで、自分だけにエネルギーを注ぐという感覚を私は少しずつ思い出していった。
夫のために料理をしなくていいとなると、夜は果てしなく長く、一通りのことを済ませても「まだ20時前か」と驚くことがしばし続いた。料理ができない訳ではないけれど、人の栄養管理を考えながら毎日毎日献立を考えるというのは苦行に近かった。
それで一人暮らしになったら料理はしないぞと決めていた。
その宣言通り、2カ月の間全く料理をしないでいたら、そのことを知った母にえらく嘆かれ、「しばらく口をききたくないと思った」とまで言われたので驚いた。
誰にも迷惑をかけていないことでも、人は誰かにショックを与えることができるのだなと感心してしまった。
(母はそう言いつつも達者で暮らせよと笑っていたので大丈夫。)
途中、何をしたいのか全く思いつかず、数日間朝から晩まで何もしない虚無も味わった。今までならその虚無感を何かで埋めようとしていたけれど、それがあまり意味がないことを今の私は理解していた。埋めようとしてやったことって結局モノにならないし、やっている自分って結局カッコ悪い。埋めようとするくらいなら何もするなと腹が決まった。
そうやって、自分の感覚に従ってエネルギーを使うことを実践する中で、久しぶりに‟没頭する“という感覚を私は味わった。長い間、使いたくても使う場所が見つけられずにいたエネルギーをようやく使うことができて、心から楽しいと感じた。人とのコミュニケーションの中で感じる「楽しい」とは違う、自分のエネルギーが正しく使われていることで感じる「楽しい」。そんな楽しさを感じたのは、そう、震災以降初めてのことだ。
この楽しさを思い出しただけでも、全部捨ててきた価値があるというもの。
自分を取り戻すために、私は全部捨てて人生をリセットさせた。
でも、実は私が捨てたものはたった一つ。
それは「報われなさ」だ。
「報われない自分」を捨てるために私はここに来た。
そして、正直に言えば、まだそれを捨て切れていない。
「どうせ報われないんでしょ」というのがパターンになっていて、評価されているのに気づかないで、なんならダメ出しされていると思って暗くなったり、新しい友達ができても、実は嫌われているんじゃないかと返信にビクついたりしている。
我ながらそんなに自信がないのかと呆れる。
でも、「心配したけどそうじゃなかった」を一つ一つ重ねて、新しい出会いの中でのセッションを楽しんでいる最中だ。
そんな中、結婚生活の中で問いかけ続けて分からなかった答えを、私はついに知った。
‟私は何をやりたいのか“
上手くいくためにはどうしたらいいのか、成功するためにはどうしたらいいのか、私はそんなことをずっと考えてきたけれど、実のところそこは求めていなかった。求めてはいるけれど、目的ではなかったらしい。
私はそもそも行き先を決めたいとは思っていなかったのだ。
目標は定めず、その時の自分の感性に従って進みたい。
そんな中で出会う人との生セッションを楽しみたい。
人と人とが巡り会い、この世界が引き起こすサプライズを受け取りたかった。
そうやって辿り着く景色がどんなものか見てみたいと思っている。
流れと共に行く。
それが私の望みであり、生き方。
流れに乗りながら、世界中に自分の欠片を見つけていきたい。
そんなふうに永遠に未完成な自分を楽しみたいのだ。
《おわり》