その朝、私は自分でも驚くほど、全然嬉しくなかった。
私自身が苦労して頑張ってきたことの成果が出た日でもあったのに、少しも喜んでいない自分に気が付いてしまった。
今日は夫の美容室のオープン日。
地元で美容師と結婚
地元で、カラーセラピストとして起業していた私は、美容師である6歳下の夫と結婚。その翌年に夫は独立、9坪の小さなお店からスタートし、2年後に二店舗目を開店。
さらに4年後となるその日、一店舗目をより大きなテナントに移転し、オープンした。
様々なトラブルを一つ一つクリアしながら、何とか間に合わせた新店舗オープン。
夫の好みであったブルックリン調の店内には、お客様や取引先、家族、友人たちから贈られた花が所狭しと並べられ、馴染客が開店時間と共にやって来る。
移転の少し前には、東京の華やかな会場で授賞式が行われるような賞にも輝き、まさに夫の美容師人生は乗りに乗っていた。
口々に「すごいね」「おめでとう」と声を掛けられている夫の姿を尻目に私はそっと裏口から出た。気持ちの問題からではない。そこでの私の任務は完了したからだ。私には前店舗の後処理の役目も残っている。
夫の成功が喜べない
みんなに祝福され、まるでスポットライトを浴びているかのように明るい光に包まれながら満面の笑みを浮かべている夫。
愛する人の晴れ舞台をこの目で見たのに、どうしたことか、私はちっとも嬉しくない。誇らしくもない。
いや、どうしたことかだなんて、理由はちゃんと分かっている。
ただただ、悔しかった。
一生懸命作り上げた場所でスポットライトを浴びるのはまたしても夫。どんなにエネルギーを注いできても、そこは私の居場所ではなかった。
一体、いつになったら私のターンがやって来るのか。
私はそんな自分の性格をよく知っていた。
裏方仕事を丸投げされ、不本意な夫のサポートをやるようになって6年、事あるごとに辞めたいと夫に訴え続けてきた。
私が裏方をやれるようなタイプなら、そもそも会社員を辞めていない。
自営業は私の方が夫よりも先に始め、結婚前などは自分の事業で薄給の夫を支えていたと言うのに。
悔しい。ただただ悔しい。
本当は私だってお客様と直接向き合う側の人間で、そっと裏口から出ていくような役割ではないはずだった。
気持ちとは裏腹に裏方能力が開花
けれど、そんな自分の気持ちとは裏腹に、私の中には優秀なマネジメント能力が潜在していて、それが図らずも夫の無茶振りによって開花し、次々と頭角を現していった。
やりたくないと泣きながらも、立ち上がる難題を確実にクリアしていく自分の才能が恨めしかった。もはや夫の事業から抜け出せない状態に焦って藻掻く毎日。
抜け出せないのなら両立は出来ないか。
私はまず家族従業員のポジションを抜け出すため、店舗を移転する前の年に法人化を決行した。
一番初めは、夫の独立も上手くいくか不安だったので、節税のため私を家族従業員扱いにしていたのだけど、それだと私が自由に事業を展開していくことはできない。
夫の事業と私の事業、それぞれが自分のやりたいことに挑戦できるように法人化することにしたのだ。役員も序列を作らず、私と夫、二人ともを代表取締役とした。
ところが、相変わらず私の居場所は作れず、夫の事業だけが拡大していく。
もちろんそれは私のサポート力だけの成果ではなかった。飽くまで現場でお金を生み出しているのは夫。
彼の仕事っぷりも凄かった。定評のある技術力に、人並外れた情熱と集中力、笑顔で全神経を張り巡らす接客。彼は毎日200%のエネルギーを仕事に注いでいた。
彼の抜群の売上力に、私の抜群のサポート力。
そう、私達はゴールデンコンビだったと言えよう。
顧客はもちろん、優秀な従業員も徐々に増え、私達の会社の年商は毎年1000万ずつ上昇していった。最終的には三店舗を構え、年商1億の企業へと成長したのだった。
日陰で苦虫を噛み潰す妻
にもかかわらず、私の気持ちは一向に晴れなかった。
相変わらず私は影の存在であり、序列制度を設けなかったことなんて無意味で、世間からは「社長の奥様、奥さん」と呼ばれ、契約や交渉の場で相手は決まって夫に向かって話し始める。
会社の全体像を把握しているのもGOサインを出すのも私。
質問に答えるのはいつも私なのに、注目され尊重されるのは夫だ。
「うちに社長なんていねぇ」
と胸倉掴みたい衝動を必死に抑えてる妻の気持ちなんて皆気づく由もなく、私を褒める人がいるとすればこれだ。
“内助の功“
“献身的なサポート”
いまや、私の大嫌いなワードの二大巨頭である。
今時これ言う奴、きっと日常の中で見落としてること山ほどあるから今すぐ見直して海より深く反省してほしい。
なぜ?どうしてこうなった?
《つづく》