舞台「星を捜す男たち」を観劇してきました。
(詳細はこちら。↓)


ストーリーや、評論を書くのは、期待しないで下さい。(笑)

私が感じ得た事。

「人の始まりと終わり、生と死、それは決まった事であっても、その過程、人生を、肩に力を張らず、足に力を張って生きてみたいと言う事。そして、背反する二つの極点は、実は、通じるものがあるのかもしれない、という視点。GOは、COMEかも知れない、という発想。」

等になります。


何よりも、感じ得たのは、
ガラスのような、鏡のような、世界観。
と言えます。

「それは君(の方)じゃないかい?」と、問われた気がしたのです。

この作品がどういうものか、そして、「森了蔵」がどういう役者か、論述する前に、作品が、また、「森了蔵」が、鏡となってくれて、自分、私個人が映し出されたと思うのです。

作品について、感じた多面性、また、「森了蔵」について、感じた多面性は、即ち、自分の中にある、多面性ではないかと感じました。



ちょっと、話がそれますが、「森了蔵」との出逢いを記述しておきます。

昨年の秋、「Blue Bottle~青蝿~」という舞台公演がありました。目的は、残念ながら、「森了蔵」ではなかったのですが。

全10回公演のうち、5回舞台を拝見して、一言で言うと「気になった」、役者さんでした。

公演の千秋楽の後、帰り道、
「もう、二度と、会えないのかなあ、この役者さんに。」と思うと、口惜しい役者さんでした。

今の世はネットがありますから、色々、拝見したのですが、どうにも、こうにも、何か、簡単な形容詞で、括る事が出来ない存在で、それは今も変わりませんが。

そんな訳で、今回の舞台「星を捜す男たち」に食らいついた訳です。



では、話を戻します。
鏡、そしてガラスのような、世界について。

一番、妥当な例えは、電車の窓ですかね。

長い旅をして、車窓から、外の流れる景色を見ていました。ふとした瞬間に、「ガラス」に注目すると、向こうの景色も確かに見せてくれてましたが、ガラスに自分の、至って無防備な、自分が映し出されている事に気づくのです。



・・そんな存在が、今回の作品であり、また、「森了蔵」の魅力の一側面かと。勝手な論述ですが。


私個人が、作品至上主義、なのでしょうか、舞台の合間に感じる表情、ひととなり、等は、論述したくないし、知らないので。(笑)

また、こういう役者だと、簡単な形容詞で括る事は出来ないし、知らないので。(笑)


ただ、私への作用は、感想として、鏡なんです。向こうの景色も、私自身の姿も見れる存在、という感じ、です。


まだまだ、役者「森了蔵」から目が離せません。


また、私個人の意見としてですが。抽象的かもしれませんが。
世界Aと世界Bがあるとしたら。
その二つの世界の、境界領域にある、時の、森了蔵の、表情やら、セリフ、etc.が、魅せられます。


何が言いたいか、何を言っているのか、分からないかなと。あまり表現力、私にはないので。

ぜひ、これからの、舞台から、感じとっていただけたらなあと。私も、これからの、この役者さんに注目です。


最後に一つ、演者の方に、お詫びしないと。

ちょっと、私は照れ屋、極まりないので、
「たくさん来て、来れて良かった。」と言いたいのを、全く別の、反対のような言葉にしてしまい。そこは、謝らないと。

まだまだ、ご縁あるように願いますので、私という人間のトリセツも、これから作成したいなと。


ありがとうございます。(過去形にはまだ、しません。)


期待してます。

追記)タイトル、女たちとは?と言われますよね?私は、一人なので、「女」とすべきなのでしょうが。「森了蔵」を観ると、私という女は、まだまだ、たくさんいるような、気になるので。そんな意味合いで、複数形にしました。



【星を捜す男たち】3回分チケット


「Blue Bottle~青蝿~」5回分チケット

たくさん観たね、と言われるよりは、後々に、
「あの時はまだ、8回しか観てなかったな。」と言える、縁?糸?、ある事を願って。